高橋美江 絵地図師・散歩屋
窪島誠一郎「ある若い画家への手紙」−信州の二つの美術館から−
もぐら庵の一期一印
文字のいずまい
vol.2

最後の文人装幀家のこだわり
臼田捷治(デザインジャーナリスト)
 幀の要諦は文字にあり―。
 物を手に取る楽しみのひとつに装幀(ブックデザイン)の魅力がある。美しい装幀で装われた書物は、読むことへの興味を倍加させてくれる。その装幀の分野で独特の存在感ある仕事を残してきた田村義也さんが亡くなったのは昨年(二○○三年)の二月二十三日だった。享年七十九歳。田村さんの装幀作法にはことのほかのこだわりがあった。装幀の核となる題字や著者名を、ほとんどの装幀デザイナーが既成の活字書体に安易に頼っているなかで、必ず自分で書いていたことが特筆される。装幀においては文字の扱いがもっとも大切であり、文字の出来不出来が成否の鍵を握っていることを熟知し、そのことを身を削るような作業によって実践してきた人だった。もとより装画も自分で描いた。
 た、その表も裏もない真率な人柄は、接した人たちに畏敬の念を抱かせずにはおかなかった。昨年末の十二月には都内で偲ぶ会が開かれ、親族、出版関係者、田村さんの装幀に信頼の念を寄せてきた著作家たちなど百人ほどが一堂に会した。私も一九九九年に出した『装幀時代』(晶文社)のなかで一章を割いて田村さんに言及した縁により参加する栄に浴した。会に併せて『田村義也―編集現場115人の回想』(田村義也追悼集刊行会、事務局=新宿書房内、装幀=桂川潤)が刊行されている。
  村さんは慶應義塾大学を出て一九四八年に岩波書店に入った。在学中には学徒出陣で応召され、一年と九ヵ月間にわたる兵役を強いられた。岩波書店では岩波新書編集部や雑誌『世界』、『文学』の編集長を歴任し、八五年に退社している。岩波新書のなかの坂口謹一郎『世界の酒』、丸山眞男『日本の思想』、林屋辰三郎『京都』、白川静『漢字』などの名著は田村さんが手がけたものである。
 忙な編集者としての日々のかたわら、田村さんはおびただしい数の装幀の仕事を残した。岩波書店に入社して程なく、社内装幀に非凡な才能を発揮したと、同社専務の坂口顯さんは偲ぶ会のあいさつで語っていた。五一年刊『ルソー研究』(桑原武夫編)などが田村さんが製作部にいたころの代表的な装幀だという。
 社からの依頼で手がけた最初の単行本は一九六二年の多田道太郎『複製芸術論』(勁草書房)だった。以降、大江健三郎『みずから我が涙をぬぐいたまう日』(講談社、七二年)、講談社出版文化賞ブックデザイン賞を受賞した加藤郁乎『俳諧志』(潮出版社、八一年)、金石範『火山島』全七巻(文藝春秋、八三〜九七年)、安岡章太郎『僕の昭和史』全三巻(講談社、八四年)、石牟礼道子『おえん遊行』(筑摩書房、八四年)、網野善彦ほか編『いまは昔 昔は今』全五巻+索引(福音館書店、八九〜九九年)など、現代装幀史を飾る傑作を次々と残した。とくに安岡さんの著作はほとんどが田村さんの装いによって世に出ている。多い年には年間七○冊を超す仕事をこなすという精力的な活躍だった。
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