高橋美江 絵地図師・散歩屋
窪島誠一郎「ある若い画家への手紙」−信州の二つの美術館から−
もぐら庵の一期一印
文字のいずまい
vol.1
現代小説は「書字」をどう扱っているのか?
臼田捷治(デザインジャーナリスト)
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  能ある絵描きは字もうまいもの。この拙い筆蹟では青年の画才は見込み薄であることをたくみに暗示していて、深く頷かされる。
 九九二年に四十九歳の若さで逝った干刈あがたの『黄色い髪』(同)は、イジメに会って学校に行かなくなった十四歳の娘と、それに戸惑いながらも毅然と見守る母親(「史子」)の物語。作中で印象的な描写がある。母親が息子(娘の弟)からせがまれて新しい教科書に名前を書いてやる一節である。 「『ノートやなんかは自分で書くけど、教科書だけ書いてよ。お母さんに書いてもらうと、なんだか安心なんだもの』
 ールペンで名を記入しているうちに、史子は乳房の底のあたりから深い感情がこみ上げてくるのを感じた。それが揺れて、だんだん広がってくる」
 の後で「史子」は亡くなった自分の母親の文字を思い出して涙をこぼす。このように名前を書いてやったり、書いてもらったりといった経験に心当りのある人も多いのではないだろうか。さりげないシーンながら心に染み入るものがある。
 お、文房四宝の世界との出会いを象徴的に描いた連作短編集である森内俊雄の『真名仮名の記』(講談社)も得がたい魅力を全編にわたって紡いで出していたことを付記しておきたい。
  角のテーマなのに、読んでいて歯がゆい思いをすることがある。筆者にとっては三回り以上も若い世代にあたる島本理生の『リトル・バイ・リトル』(同)をある必要があって読んだ。大学受験浪人中の少女の日常を追ったさわやかな小説であるが、作中で少女が近所の習字教室に通う場面が出てくる。しかしその描写はさらりとした淡泊さで拍子抜けした。そのような軽さこそが若い世代の共感を広く呼んだ由縁であることは理解できるのであるが……。
 様に、ヒロインが楷書に優れた書道家という設定の渡辺淳一『失楽園』(同)。社会的な事象となるほどの話題を集めた小説だが、楷書を究めたことがヒロインの内面形成になんらかの痕跡を残しているはずなのに、そうした相関についてまったくといってよいほどに触れていないことに失望を感じたものだった。
 格的な書芸家小説は少ないといってよいのではなかろうか。筆者が知っているのは、書と画のふたつを究めようとする東アジア固有の芸術家像に真っ向から挑んだ、韓国の作家、李文烈の中編「金翅鳥」である(情報センター出版局『われらの歪んだ英雄』所収)。韓国書道の巨人、金秋史の学統を継ぐ師との愛憎を乗り越えて高い精神世界を獲得するに至るまでのひとりの書画家の苦闘を、迫真の筆致で跡づけている。
 本でもこうしたまっとうな書芸家小説がもっと現れてほしいものである。大上段な物言いになるが、書芸は私たちの文化のオリジンを支えてきたのだから。

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