高橋美江 絵地図師・散歩屋
窪島誠一郎「ある若い画家への手紙」−信州の二つの美術館から−
もぐら庵の一期一印
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vol.18「ACAF NY」  
 
『今年、挑戦してみるかニューヨーク。』


 昨年年頭、コラムvol.9の最後にこう締めくくった。
 もちろん発表の場は視察記を書いたACAF NY(アジアン コンテンポラリー アートフェア ニューヨーク)だ。昨春頃、今回の企画を頂いた新生堂よりアプリケーションをフェア事務局に提出し、念願の海外初個展に向けての準備が始まった。
 その後9月、リーマンショックを発端とする世界経済の混乱が起こるわけだが、アートの世界ももちろん他人事ではなく、むしろその影響は直撃で、11月開催予定のACAF NYも本当に開催するのかどうかさえ間際までハッキリせず、アプリケーションを提出した後でさえ、様々な噂が飛び交うような状況となった。初めての海外挑戦はのっけからそう簡単には事が進まなくなったのだ。まぁ、これも自分らしくていいか。

 海外での発表は、もちろんこの仕事を続けていればおのずと目標となってくるのだけれど、しかし「じゃあ、なんで海外なのか」と問われれば、今の自分はあまり明解な回答が出来ない。「そりゃあ、メジャーになるためだよ」と言ったところで、自分が一生心地よく続けたいと思う“モノづくり”と、“メジャーになること”は同じベクトルにあるとも思えない。以前、とあるインタビューの中で「僕にとっては、一生、作ることで食つなげたら大成功。すごろくで言う“上がり”だと思っています。もちろんブレイクするときがあったり、いろいろあるかもしれない。それはそれで楽しむ。今は行けるところまで行きたいので、海外へも挑戦しますが、それは通過点」と生意気を言ったことがある。でも今考えても、これがたぶん本音のような気がする。
 
 けれどそんな妙に冷静な自分とは裏腹に、作品を海外輸送のために梱包をしている時や、行きの飛行機の中、そしてニューヨークに着いたその時々、それは幸せな気持ちだった。幼稚園の頃の粘土いじりに始まって今日まで、自分の中ではただ同じ好きな事をいつもやっていただけなのだけれど、その作品達が今自分をニューヨークまで連れて来てくれるようになるとは、正直感激というか感動というか、けれどどこか実感が湧かないというか……、しかし本番前からそんな感慨にひたっているわけにもいかないので、どこか他人事のようなすました顔をしてその気持ちを抑えながらの準備だった。  
 今まで国内でのアートフェアはそれなりに経験してきたわけなのだけれど、これが海外のフェアとなると、とたんに勝手が違ってくるものだ。事務局の連絡はルーズだし、肝心のブースの形状すらアプリケーションに記載してあるデータと全然違ったりする。そのあたりの苦労は画廊の担当者が僕以上に頑張って対応してくれた。その他、会場で流すDVDやフリーペーパーの作成、各種様々な準備も、画廊のスタッフやデザイナーさんの苦労あってこそのものだし、あらためて展覧会の規模が大きくなればなるほど作家一人では何も出来ないことに気付かされる。  
 今回の旅は時差を含めて11日間。新生堂の畑中社長をはじめ画廊スタッフや通訳の方、カメラマン、そして現地でいろいろとコーディネートしてくれる方々など8人ほどの賑やかな旅だ。そんな実に恵まれた環境は、本人にとっては内心とてつもないプレッシャーとなる。「もう、なるようになれ」そう開きなおるしかない。  
 11月4日に成田を飛び立ち、時差のため同じく4日 JFK空港到着。その日は全員眠いのをこらえ買い物などで時差を消化し、翌5日、視察以来約一年ぶりとなるフェア会場 PIER92へ。2ヶ月前に東京から送った作品達は、間違いなく海を越えて届いていた。こんなあたりまえの事にもひどく感動する。  
 いつものフェアでの大森ブースのごとく、今回もブース内は黒くしてもらうようオーダーしていた。今日までいろいろな事が予定通りに進まなかっただけに、「ちゃんとオーダー通りに仕上がっていますように」と祈る気持ちでブースに着くと、そこではオジさん二人がせっせとローラーで黒ペンキを塗っている真っ最中……。その瞬間、この日一日の予定がまるまるズレてしまった。もう何も驚かないけどね。大らかな国に来ちゃったのだ。で、その日はチェルシーのギャラリーを廻ったり、ジャパンソサエティーのパーティーに参加させて頂いたりと、様々な方達と交流。
 で翌6日、前日のロスを埋めるべく朝早くから会場設営。でもここまできたらあとは慣れたもの。模型をもとに着々と会場が出来上がっていく。フェア会場全体も徐々に賑やかさを増してくる。
 
 
 17:00からオープニングプレビュー。さすがアメリカ、こういったパーティーはとにかく華やか。この日ばかりは不景気を忘れるほどの賑わいだ。
 我がブースにもたくさんのお客様が来てくれて、もうこうなったら英語が出来るとか出来ないとかの問題じゃない。自己紹介のフリーペーパー片手に、勢いで突撃! な感じ。もうその賑わいに呑まれ、自分にとっての海外初個展がスタートしたという感慨深さもどこかにフッ飛んでいた。この日は、昨日のジャパンソサエティーのパーティーでお会いした、日本領事館の櫻井大使や、MOMAの会計士の方やキュレーターさんもわざわざブースまで来て下さり、いやぁ、それは嬉しかったなぁ。
 
 
 翌日から4日間は一般公開日。テキトー英会話でも日に日に妙な自信をつけていく自分。オーバーアクションでストレートに感想を伝えてくれるアメリカ人は接客していて嬉しくなるし、自分と作品に自信を与えてくれる。たまにブースから少し離れて、お客さんの動向を客観視してみたりするのだけれど、反応というか食い付きは、冷静にみて日本国内でのフェアと比べて特に良いわけでも悪いわけでもなく、拍子抜けするほどきわめていつも通り。要はアートへの反応や評価というものはやっぱり国籍を超えて共通なんだな、と感じた。これは“海外”ということを多少は気負う自分を、スッと落ち着かせてくれる。人間の心はみんなおんなじなんだ。  
 会場全体はといえば、週末にはそれなりの賑わいをみせたものの、平日は人もまばらな時間も多かった。現在、世界各地でアートフェアがブームとなったおかげで、逆にお客さんが分散してしまい、集客に陰りが出ているという話を昨今よく耳にする。コンテンポラリーアートの本場ニューヨークでさえ、その雰囲気は強く感じた。そこへきてこの世界同時不況、商売的には正直惨憺たるもので、これには「お手上げ」の一言に尽きる。自身のブースだけが売れないのであれば、それこそしばらく寝込むほど落ち込んだかもしれないけれど、今回に関してはフェア全体で赤マルなど数えられるほどしかなく、こうなったらもう全部リーマンと世界経済のせいにしてしまえ、と完全に責任逃避な自分……。ま、そうはいっても実際自分のなかで反省点もたくさんあるし、それはこれから時間が経つにつれ、さらに気付くことが出てくるだろう。次への課題を見つけることもまた大事な仕事だ。

 とにもかくにも、こうして自分の海外初個展は終わった。
 
 こういう世界情勢の中、コストのかかる海外アートフェアへの出展を足踏みするギャラリーは多い。事実、前回のACAF NYには多数の日本のギャラリーが出展していたが、そのほとんどが撤退し、「アジアン コンテンポラリー アートフェア」だというのに今回、日本からの出展はわずか4軒ほどだった。世界同時不況の中で「結果は見えていた」と知ったように冷めて言う人もいるが、けれど、視察で見に来た前回と、出展者として参加した今回では、あたりまえだが参加したからこそ学べたことははるかに多く、この状況下でも思い切って挑戦してみたことは本当に良かったと思う。それまで海外挑戦というとどこか「成功」か「失敗」かのどちらか、と極端に考えていた。けれど今回の発表を終えて、自分の作品発表の場所が東京から全国へと徐々に国内で広がってきたように、その延長線上に海外にも一つひとつ自分の発表場所が増えること、それが海外に出て行く事なのだと、そうシンプルに考えられるようになった。これはあたりまえの事のようだけれど、諭されて解るものではなく、今回経験したおかげで自分の中にスッと自然に入ってきたことだ。

 
 そしてなによりこの状況下、海外挑戦をさせてくれた新生堂、および全力で協力してくれた画廊スタッフ、デザイナー、物流業者、他多くの関係者の心意気に、敬意と感謝を申し上げたい。

 この経験をふまえ、つぎ海外で発表出来るのはいつになるだろう。
 いろいろ冷静を装った事も書いたけれど……。

 「つぎこそみてろよ」

 これが案外、今回の一番の収穫かもしれない。

(2009.02.13 おおもり・あきお/彫刻家)