高橋美江 絵地図師・散歩屋
窪島誠一郎「ある若い画家への手紙」−信州の二つの美術館から−
もぐら庵の一期一印
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vol.9「ニューヨーク」後編  
  vol.8 中編よりつづき
 3日目も朝早くから行動。まずは観光客気分まるだしで国連本部へ。ここで世界の動きを決めているのかぁ、と実に漠然と感動……。続いて、ほど近くで開催していた「JAPAN SOCIETY」という展覧会を観に。これは現地で活躍している日本人作家の発表の場のようだ。入場チケットと一緒に手渡されたのはオノ・ヨーコさんのカード型の作品。中へ進むと、ひと部屋ごとにほぼ一人の作品が展示・インスタレーションされている。2日目同様、作品の善し悪しなんてものは所詮主観、好き嫌い。だから結論めいたことは言いたくないのだけれど、やはりクオリティーの欲求不満だけはなんともしがたかった。そうか、「クオリティー」という意味も日本とニューヨークでは違うのかもしれない。日本人である自分を満たすクオリティーとは“手数(てかず)”であり“神経質さ”、“丁寧さ”であるのだけれど、きっとそこがツボではないのだろう。ん……、けれどここは「JAPAN SOCIETY」のはず。ここで、ひとつ気付いた事があるのだけれど、結論を出すのはまだ早い。肝心の「ACAF NY」を観てから答えを出そう。
 
 「ACAF NY」のオープニング・プレビューは夕方。それまでしばらくの間、Tさんと分かれ一人でぷらっと散歩。地下鉄の乗り継ぎを減らすためにセントラルパークを歩いて横断。慌ただしいスケジュールの今回の視察旅行で、このセントラルパーク内の数十分間は本当に心地良い時間だった。夕日が沈むマンハッタンを広大な公園の向こうに観た景色は、世界一忙しい街のもう一つの柔らかい表情を見たような気がした。
 いったんホテルへ戻り、軽く着替え、いよいよ「ACAF NY」へ。会場はPIER 92という川沿いの展示場。今回から始まる新しいアートフェアだ。お世辞にも交通の便は良くないだろう場所に、どれほどの集客力があるのかも興味深かったのだけれど、中へ入るとなかなかの盛況ぶり。天井が低いのが少し圧迫感はあったものの、ものすごい奥行きの空間に80軒近いギャラリーが出展している。後の情報ではこの初日で約3500人、四日間でのべ約2万人の来場であったとのこと。これをどうとらえるかは各々の見解によるけれど、とにもかくにもアジアのコンテンポラリーアートをニューヨークの人達が観たがり、そして我々が魅せる事の出来る状況がようやく整ってきたことは確かな事実だ。十年前ではあり得なかった空気であろう。
 会場には日本のギャラリーも数軒出展していて、海外のアートフェア会場で知り合いの画商さんに会うのはなんだか嬉しいものだ。
 それにしても会場で目に付くのはやはり中国アート。いま最も勢いにノッている感はひしひしと伝わってくるものの、どうも個人的な好き嫌いもあってか少々げんなりする。なにより情緒のかけらもなく、表現というものに娯楽以上のものを求めていないように思えてならない。日本で「前衛」がもてはやされた頃となにかノリが近い。そう考えると、我が国日本の表現はここ二十年あまりで随分と精神的な成熟を遂げたのだと思う。インパクトこそが作品の評価であるような現在の世界的なアート市場の薄っぺらいノリは、近い将来もう少し精神的な成熟をして欲しいと思う。そう、食文化では世界の国々がようやく和食の魅力を理解し始め、ファッションの国フランスまでもが青山・原宿の若者達のファッションが世界で一番だと手本にする現在、アートは「コンテンポラリー」などと浮かれていても、ひろく文化全般の中ではずっとずっと遅れている分野なのかもしれない。
 今回の視察旅行では、先にも書いた“手数(てかず)”、“神経質さ”、“丁寧さ”という意味でのクオリティーに関しては感動出来るレベルのものが少なかった。イコール海外での評価であるかは別としても、それが我々日本人が持つ確固たる持ち味であることは自信を持って良い事なのだろう。そしてこの持ち味は日本人だからこその特性ではなく、日本に暮らしているからこその基準レベルなのだという事も初めて気付かされた事だ。
 昨今のアートフェアブームによって、海外での発表が随分と現実的なものになったと思う。けれど、村上隆氏も常々語っている通り、向こうには向こうで戦うルールがあるだろう。今回の視察で、その“ルール”の部分でのズレは痛いほど感じた。村上論の言う通りだと思う。そのうえで“自分らしさ”とその“ルール”とのせめぎ合いは、思っている以上に重要で、慎重に取り組まなければならない厳しい課題なのかもしれない。
 

でも面白そうじゃないか。

今年、挑戦してみるかニューヨーク。

(2008.01.28 おおもり・あきお/彫刻家)