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≪前頁より続き≫ 楊修は非常に才走つた男であつた。その才子振りは鷄肋をはじめとして、世説にもよく見られる。ある時魏武に一盃の酪を獻上した者があつた。盃は酒器。酪は乳製品の一種、クリームかヨーグルトの類だらう。魏武は一口飲み、盃の蓋に合と書いて衆に示したが、能くその意を解する者無く、次から次へと手渡して楊修の手に渡つた。修はこの蓋を取り酪をすくつて一口飲み、次の者に手渡していふやう、公は皆の者に一口づつ飲めよとの思召しであると。合字を拆すると人一口、人ごとに一口といふことになる。この楊修、あまりにも才をひけらかしたので、終に曹操に忌まれて殺された。才といふ者は、その見せ方に気をつけなければいけない。
曹操もまたこのやうな文字言語の遊戯を好んだ人であつた。丞相府の門を作らせた時、作りかけの時に見に来て、なにも言はず、ただ門の額に活と一字題して立去つた。主簿であつた楊修が、すぐに作りかけの門を打ちこはさせ、門の中に活は闊になる。王は門が大きすぎることを嫌はれたのだ、と言つた。 |
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