高橋美江 絵地図師・散歩屋
窪島誠一郎「ある若い画家への手紙」−信州の二つの美術館から−
もぐら庵の一期一印


文人閑居して文字に遊ぶ
第4回
綿貫明恆(雑学者)
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 修は非常に才走つた男であつた。その才子振りは鷄肋をはじめとして、世説にもよく見られる。ある時魏武に一盃の酪を獻上した者があつた。盃は酒器。酪は乳製品の一種、クリームかヨーグルトの類だらう。魏武は一口飲み、盃の蓋に合と書いて衆に示したが、能くその意を解する者無く、次から次へと手渡して楊修の手に渡つた。修はこの蓋を取り酪をすくつて一口飲み、次の者に手渡していふやう、公は皆の者に一口づつ飲めよとの思召しであると。合字を拆すると人一口、人ごとに一口といふことになる。この楊修、あまりにも才をひけらかしたので、終に曹操に忌まれて殺された。才といふ者は、その見せ方に気をつけなければいけない。
 操もまたこのやうな文字言語の遊戯を好んだ人であつた。丞相府の門を作らせた時、作りかけの時に見に来て、なにも言はず、ただ門の額に活と一字題して立去つた。主簿であつた楊修が、すぐに作りかけの門を打ちこはさせ、門の中に活は闊になる。王は門が大きすぎることを嫌はれたのだ、と言つた。
 康と呂安とは仲がよく、相手のことを思ひ出すと、千里の遠くでも車を命じるといふほどであつた。呂安が訪れた時、たまたま康は不在であつたので、兄の喜が迎へたが家に入らうともせず、門上に鳳の字を書いて歸つた。喜はその眞意を解せずに喜んでいたが、わざと鳳の字を書いたのは、凡鳥といふことで、喜を軽んじたのであつた。
 説新語くらいは一通り目を通しておくがよからう。文字言語をタネにして、シナ式のああ言へばかういふの屁理屈が次から次へと出てくる。彼の土の人とつきあふには、このやうな言ひ方を心得ておくことも必要であらう。

*著者の意向により、中国のことを“シナ”と表記しています。


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