高橋美江 絵地図師・散歩屋
窪島誠一郎「ある若い画家への手紙」−信州の二つの美術館から−
もぐら庵の一期一印
文字のいずまい
vol.4

「温故知新」が生んだ注目の大ヒット新書体
臼田捷治(デザインジャーナリスト)
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 岡さんは一九四七年の生まれ。一九六〇年代後半から七〇年代初めにかけて、展示会での新製品説明パネルなどのレタリングデザイナーとして、文字デザインの基本を学んだ。まだ筆と溝引きによる書き文字全盛の時代だった。その後、広告代理店のスタンダード通信社でアートディレクターとして長く活躍。やがて九〇年代に入ると、広告づくりも写真植字システムから、パーソナル・コンピュータの導入による、机上で作業がほぼ完結するデスク・トップ・パブリッシング(DTP)へと激しい変革を迎える。とくにその一連の作業システムを主導したのが、略称「マック」で知られるコンピュータ、「マッキントッシュ」であった。
 ころが初期のマックは性能も現在から比べると未成熟で、書体の完成度が劣り、使用に耐えるいい書体がないというのが、書体にこだわるデザイナーが共通して抱いていた認識だった。片岡さんもそのひとりで「いい書体がないのなら、自分でつくってみようか」という思いが書体デザインに進むきっかけとなった。マックの性能自体も飛躍的に向上し、書体設計が容易になったことも決断の背景にあった。そして、片岡さんが着目したのが、筆や手書きでは、文字の画線の先端とかその一部を丸くきれいに仕上げることはむずかしいが、マック上では簡単に処理できることだった。「明朝体なんですが、丸を当てはめればおもしろいものができるのでは…という発想でしたね」と片岡さん。
「丸明オールド」の広報チラシ 「丸明オールド」を使った書籍装幀。
江國香織著『思いわずらうことなく
愉しく生きよ』(光文社、2004年)
「思」と「愉」の一部に加工が加え
られている。          
 して片岡さんが参照したのが、明治後半期の活字書体だった。仮名では夏目漱石の「吾輩ハ猫デアル」(上編、一九〇五年)の初版本にも使われている秀英舎書体の五号明朝。秀英舎体は、現在の大日本印刷に受け継がれている、日本の近代活字の主流を成してきた書体。筆文字の名残をとどめる流麗な仮名書体の息遣いを、丸明オールドの仮名はたくみにすくい上げている。私はそこに映画の字幕文字にも通じる、手書き文字特有のぬくもりを感じてならない。
  字は、日本の近代印刷の創始者、本木昌造の系譜を引く築地活版書体(現在の凸版印刷で、やはり活字書体の典型)に範をとっている。仮名と同じ起筆部・終筆部の丸みにくわえて、明朝漢字に特有の、横画の留め部分の三角形のウロコを円形のエレメントに置き換えていることが、快いアクセントを添え、書体としての個性を引き立てている。
 岡さんが明治時代の書体に注目するのは、専門的なデザイン教育を受けていないというだけに、なんとか自分の眼力で「過去の歴史を探りたい」という一念からだったという。そして、近代の活字資料を見始めて気づいたのは、「歴史の中に次の新しいものがある」ということだった、と片岡さんは強調する。丸明オールドが見る人を癒してくれるようなやさしさを秘めながら、けっして古くさく映らないのは、こうした歴史への積極的なまなざしによるものだろう。まさに「温故知新」である。
 岡さんは今、新しいゴシック体の設計に取り組んでいる。来年が予定という発表がたのしみである。

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