ボクハ、ヱンソクノ、前ノ日ニ、泰明学校、ヘ、アソビニイッテ、カヘッテ来タ、トキハ、モウ、ユウガタ、デシタノデ、大イソギデ、リックサックヲ、出シテモラッテ、オカアサント、ボクト、ニイサント、チカテツヘ、イッテ、マズ、一バン、ハジメニ、ニイタカドロップト、サクマシキドロップヲ、カヒマシタ、ツギニ、ボクガ、ピース、ヲ、カウト、イヒマスト、ニイサンガ、ソレヨリ、コレガ、イイ、ト、イッテ、ピース、ノ、トナリ、ノ、ヲ、ユビデ、サシマシタ、ボクハ、オカアサニ、オネダリ、ヲ、シテ、ソレヲ、カッテ、モラマシタ、ソレカラ、明ジドラゼー、ヲ、カッテモライマシタ、ソレカラ、明ジキャラメルヲ、カッテ、モラハウ、トシマシタラ、ソンナニ、カウト、センセイガ、イッタヨウニ、オナカ、ヲ、コワシマスヨ、ト、イッテ、カッテ、クレマセンデシタ、ソレダ、ケニ、シテ、ウチヘ、カヘリマシタ、ソウシテ、ウチヘ、カヘルト、ボクノ、イモウト、ガ、ドロップヲ、ホシガルノデ、五ツ、アッタノガ、四ツシカ、ノコラ、ナカッタ、ボクハ、チカテツ、デ、カッテ、キタノヲ、ミンナ、リックサック、エ、イレタ、ソレカラ、ネマキニ、キカヘタガ、ナカナカ、ネラレナカッタ
「エンソク」という課題は、遠足に行ってきたからこそ出たのでしょう。だのに二年一組小沢信男は、またもその前日のことをごたごた書いている。
しかも脱字や読点だらけ。ソレダ、ケニ、とはなにごとだろう。いまさらやむをえません。順につきあって見てまいります。放課後に、いったん帰宅してランドセルを下ろし、身軽になってまた学校へもどった。広い校庭は、おおかた上級生たちが走りまわっている。付属の小公園に砂場もブランコも滑り台もジャングルジムもあって、たぶんそちらで遊んでいたのでしょう。
放課後の校庭に、遊ぶ子どもらの声がひびくのは、どこの小学校もご同様でした。戦後も、団塊の世代たちの育ち盛りには。
やがて都心部は過疎になり、学校も統廃合が進んだ。そうしていまや泰明小学校の校庭はシィンとしている。小公園との境目には網を張って、立入禁止の無人の境です。
おもえば当時は、そこらじゅうに子どもらがいたのだな。犬も猫も気ままに歩いていた。あるときお隣の松竹理髪店で雌犬を飼ったら、界隈の雄犬どもが日参してくる。登校するわれらとすれ違いに、のそのそ日参組がやってくる。
そんな町場の暮らしむきの頃のことであります。
さてそこで。明日の遠足にそなえて、なんで地下鉄へドロップを買いにゆくのか。これにも一くさりご説明が要るでしょうなぁ。
そもそも東京の地下鉄は、浅草─上野間が昭和二年の歳末に開通した。私は昭和二年六月の生まれ。同年輩であります。始発の浅草駅と乗り換えの上野駅はひとまず地下二層だが、おおかたは地べたを掘りさげレールを敷いて蓋をする単純な一層でした。
その方式で神田まできて、次の三越前で完璧な二層となり、地下一階はデパートの地階への入口だ。その伝で、日本橋、京橋、銀座と順調に延びて、新橋駅の開通が、昭和九年六月のこと。
プラットホームは地下二階に。地下一階は省線電車に乗り換える通路で、そこに屋台風な店がならんだ。いうなら地下の露店だ。
地下鉄は、夏に涼しく冬は暖かい、という触れ込みでした。なにしろ出来たてのほやほやの施設だもの。キャラメル買うにも母子そろって地下鉄ストアへ、いそいそ土橋を渡ったのです。
新高ドロップ。佐久間式ドロップ。ドロップ界の双璧でした。家庭用は縦長の缶入りで、丸い小さな蓋をあけて傾けると二粒三粒がころっと出てくる。携帯用は現によくある筒状の包みだったはずだが。まずはその新高と佐久間式を買ったのだ。
台湾の玉山は海抜3952メートル。日本統治時代は富士山よりも高いので
そして「ニイタカヤマノボレ」は、日本海軍の暗号で、昭和十六年(1941)十二月八日未明の真珠湾攻撃は、この号令ではじまった。あげくに敗戦。台湾はじめ旧植民地はみな手放して、もはや新高ドロップどころでない。歴史のなかの一齣です。
かたやサクマ式ドロップは、現存するのですね。佐久間さんというどこかのお菓子屋さんが創始したのであろうドロップのほうが、はるかに長命の名称なのでした。
ピースは、煙草ではなくて、白い
明治ドラゼーとは、どんなものだったか覚えがないが。どうやら携帯用の薄い缶入りのドロップの類いらしい。どれもこれも五銭程度。キャラメルは大小で五銭と十銭とあった。
グーグルで検索すると、往年の明治ドラゼーの小さな空き缶一つに、アンチークオークションで二千八百円の値がついております! 茫々八十年を跨いだお値段だ。
明治キャラメルもねだったが、それはあきらめて帰宅する。すると五歳と三歳の妹に、どっとからみつかれた。母をひっぱりだして、なにかいい思いをしてきたのにちがいないのだから。
「五ツ、アッタ」とは、新高ドロップ。佐久間式ドロップ。兄の勧めたもの。明治ドラゼー。この四つに、さてはピースも、やはり買ってもらったのだな。
このうち一つだけ妹にゆずって「四ツシカ、ノコラ、ナカッタ」とは、なんという言い草だろう。その四つはさっさとリュックサックへしまいこむ。これ以上取られてなるものか。
せまい家に、
そうして寝床に入っても、すぐには寝つけない。明日への期待。とはいえ、いったいどこへ遠足に行ったのやら、もっぱらドロップをなめることに盛りあがっているあんばいではないか。
この綴り方に、担任の先生は、三重丸のうえに二重丸をのせたダルマの五重丸をつけている!
なんという優しい先生に、このガキはめぐりあっていたことだろう。綴り方はこれでいいのだよ、脱字だらけも読点の打ちまくりも踏みこえてドンドンお書き、と励ましてくださっている。
八十年をへだてて、このガキの成れの果ては、いま、ふと、なみだぐむ思いでおります。ありがとうございました、高橋先生。