14,ぐんがくたい
 ぼくたちは二時かんめにぎんざへぐんがくたいを見にいったぎんざへ来たらもうこっちのぢんどうも、むかふのぢんどうも、もうけんぶつ人が大ぜい、ゐました、うちの二かいや三がいではもうまどをあけてテイプをたくさんもっていつくるかとまってゐる所もあります、ぼくたちはぢんどうのうへえならびましたするとぐんがくたいが来ましたぼくははたをもらひましたもうビルデイングのうへではテイプをなげてゐますぼくは、はたをふりすぎたのでとちゆうからをれました、ぐんがくたいは、らっぱやたいこをたたいたりふいたりしていました一ばんはじめにけんぺいがとほりました、どんどんぷうぷうとたたいたりふいたりしていさましくとほりすぎましたぼくはゆかいでゆかいでたまりませんでした。
 この日、泰明小学校の二学年は午前の授業を中断して、軍楽隊の歓迎送に動員された。
 こういうことは折々にありました。どこかのお役所から要請があって、ほどほどの人数を沿道にならべる。まさか全学年ではなくて、この日は下級生が狩り出されたのだな。
 在学中にたびたびあったのは、天皇行幸のおりに沿道でお見送りすること。お堀端や、日比谷公園あたりの歩道の(へり)に一列または二列横隊に整列する。交通規制でシィンとしずかな車道を、オートバイの先導隊がまず通り、すると「最敬礼!」という号令がかかって、なにもない車道にむけて九十度のお辞儀をする。「直れ」の号令で直立し、ななめ右をみる。天皇座乗(ざじょう)の黒い車があらわれて、滑るように通過するのを目迎目送(もくげいもくそう)する。車中の昭和天皇は、ときに皇后も、かるく会釈するのが通例でした。ガキどもの列は黙って固くなってじろじろみつめているきりだから、いっそ天皇のほうが愛想がいい。そんな型通りの行事でした。
 泰明にかぎらない。麹町区や神田区や皇居周辺の小学生たちは、折々にお付きあいしたことでしょう。
 ときには赤坂見附の四つ角にならんだこともあり、めずらしい遠出で、いまに記憶する。あれは徒歩会と組み合わせでもあったのか。しらべれば時期も特定できるはずです。というのは、見附の角に小さな映画館があって、大評判の『大阪夏の陣』を上映していた。当時は封切館はともあれ三番館あたりの小屋では、上映中の映画の音を戸外に流していた。無声映画ではないぞトーキーだぞ、という宣伝だったのか。交通規制でシィンとしている青山通りに『大阪夏の陣』の乱戦模様が響きわたり、そこを座乗の黒いお車が、会釈する天皇をのせて通過したのでした。

 綴り方にもどります。「ぎんざ」とは、銀座通りです。ふだんに銀座で暮らしながら「ぎんざへいった」もないようだが、そんな意識だったのだな。わが家の西八丁目あたりでいえば、通りの名も西から、電通通り、板新道(いたじんみち)、並木通り、中通り、金春通(こんぱるどお)りとあって、銀座通りだ。そこはお客さまが歩く道だからガキどもがうろちょろするでないぞ、と躾けられた。かまわずうろちょろはしたけれども、とにかく別格な「ぎんざ」でした。
 「こっちのぢんどうも、むかふのぢんどうも」とあるのは人道で、いまの歩道のこと。当時は「人道・車道」と言っていました。銀座通りはすでに、両側の歩道が見物人で埋まっていた。そこへきた小学生たちが最前列にならんで、小旗を持たされた。そういう演出なのだ。たぶん四丁目の辻に近いあたりだった。窓からテープを投げまくっていいらしいのも、なるほど、めったにない日だぞ。

 銀座通りはすでに、両側の歩道が見物人で埋まっていた。そこへきた小学生たちが最前列にならんで、小旗を持たされた。そういう演出なのだ。たぶん四丁目の辻に近いあたりだった。窓からテープを投げまくっていいらしいのも、なるほど、めったにない日だぞ。
 銀座通りは電車道で、品川─浅草間の1番の市電がチンチン走っている。地にはレールの石畳、空には架線(がせん)だらけだもの。目下は交通遮断ながら、二階や三階からテープを投げて、架線にからみつかないはずがない。すぐあとでかたづけるにせよ、いわば無礼講のにぎわいだ。
 憲兵がまっさきにきた。腕に「憲兵」という腕章を巻いているから一目でわかる。泣く子もだまる憲兵さまの先導で、天下御免の楽隊だ。
 この小学二年生は、くばられた小旗の竿を、じきに折ってしまった。葦かなにかへなへなの竿だもの。ビニール製品ごときはない時代です。
 それにしても、よほど愉快千万だったとみえるな。この綴り方は、三重丸に二重丸をのせた、だるまの五重丸をいただいております。

 

 この絵は、上記の綴り方の、挿絵のごときものです。さては先生は、授業時間を潰しての楽隊歓迎を、綴り方と図画の題材にした。遊びごとではないですよ、教育の一環でありますぞ、というこころだな。
 これは海軍の軍楽隊であった。うしろにリボンを垂らした帽子を、楽隊の全員がかぶっていて、これぞ日本海軍の水兵さんの制帽であります。綴り方でははぶいていることが、この絵のおかげで一目でわかる。
 上着もズボンもスカイブルーであった。夏場は上下とも白でしたから、これは秋のできごとです。肩から背へ、よだれ掛けのような布が下がっていて、これは波荒い艦上で号令を聞き逃さぬために、両手で耳のうしろに立てるのだとか。楽隊最前列の一番手前の隊員の背に、その布が描かれています。右代表、以下略のつもりでしょう。

 先頭に、黒い制服制帽の人が二人いて、これは海軍士官、この楽隊の隊長でしょう。憲兵はずっと先へ行っているのだ。うしろにも二人いるのは、次につづく楽隊の先頭なのだな。
 海軍の士官さんは、腰に短剣、帽子のツバも目深くて、じつにかっこうよかった。あの短剣はほんの飾りで、リンゴを剥いたり、鉛筆を削ったりするのだ。とかいう噂も、ほんとうかどうか知らないが、かっこうよさのひとつでした。
 くらべて水兵さんは、帽子のリボンも、背中のよだれ掛けも、大の大人たちが子どもっぽくて、なにかおかしい。そんな人たちがブカブカドンドン、盛大にやってくるのだもの。興奮しないでおられようか。

 窓からはいっせいにテープが投げられて。1本だけいちはやく投げて、隊員にからみついたらしいピンクのテープは、先が地べたに転がっている。なかなかに観察がこまかい。
 そのくせ、市電のレールも石畳も、はりめぐらした架線も、いっさい省略。街路樹もない。
 そもそも銀座通りに、こんなのっぺらぼうなビルがならんでいるものか。
黄色いビルの2階の窓からテープを投げてるやつは、身を乗りだしすぎて、あわや落ちかけているらしいぞ!?
 この二年生はあいかわらず、デフォルメに平然と、自身の関心事のみを写実しているのでした。

──作者敬白

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