13. スキーリゾート




真白にアイスバーン化した渓谷の街道に沿って、町は長細く展開している。
夕方に町の入口である駅に降り立った時には、視界の全ては降り頻る雪で煙っていた。板チョコを立てたようなウィンターリゾートマンションが細い目抜き通りに沿い延々と屏風じみて続いているのが、かろうじて陰影でわかった。


金色の巨大ホテルは今ではノスタルジックにも思えるデザインの、バブル時代初期に建設された建物だ。泊まってみたいと長年思っていた。イラストの仕事の取材とクリスマスの贅沢をかねて、思い切ってひとり予約したのだった。
イヴの今夜は、冬の花火が夜空を飾るという。火色のシャンデリアが豪華なフロントロビーのソファに身を埋めて、夕景の視界を次第に遮っていく雪をガラス越しに見る。しかし、こんな天候で花火は開催されるのだろうか。
それにしても、夕方までに到着しておいてよかった。夜に着く汽車だったなら何処かで立往生したかも知れない。雪国ではこの程度の雪ではそのような混乱は起きないのか。昨年の大雪では東京の交通はあんなにも乱れたけれど。
ホテルの向かいは四階建てほどの横に長いリゾートマンションだが、雪の視界のせいか暗く生気がない。窓灯りがついてもいい時刻なのに何か舞台裏の書割画面のように全てが陰っている。
その奥の茫洋とした青い闇はスキー場なのだろう。スキーをしたくて来たわけではないので、よくは知らない。
雪のイヴと言えば味わいもあるはずだが、フロントの従業員も忙しなく、悪天候の非常感で落ち着かない。花火の開催について聞こうと思ったがやめた。部屋に戻りひとり晩酌でもしながら今夜はゆっくり休むことにする。


浴槽に湯を張りそれに浸かって時を過ごしていると、部屋の窓の外でババババと破裂音がしたようだった。この天候でも花火が始まったのだな、と思った。
部屋に戻りカーテンを開けてみると、水滴に潤んだガラス越しの、やけに金色がかった街明かりに一瞬目が眩んだ。先ほどあんなに陰気で暗いようにみえた街が、短時間でここまで明るむとは。
と、窓を拭いてよく見たとき、息がとまるような思いがした。


ガラス越しに自分が対面している風景。やけに平たく、金色の単色である。まるで電光掲示板のドット上に浮かびあがったような、まだらな光で描かれた風景。
それは実像ではなくて、映像だった。
私はただ部屋の窓を挟んで、どこまで続くかもわからない巨大な電光掲示の大ビジョンの中の光景を見つめている。私の視界に映る景色は、絵巻のように長い電光のなかに蠢く映像の町なのだ。
認識がついていかなくて、私は暫くただ一種不思議な感動でその映像を見つめ続けた。
映像の中で、荒い粒子の花火らしき光が炸裂している。野球場によくこんな電光掲示板が昔あったな、とぼんやり思い出した。


私は部屋の灯を消して、その金色の映像を見物することにした。映像の中にはライトアップされた白い雪山、点々としたホテルの灯、光に溢れた無数の窓がある。
どこかのホテルの屋上では雪の中にも関わらず、電飾を張り巡らせた仮設のビヤガーデンのようなものがしつらえてあるらしく、そこに大勢の人が集まり、楽しそうな歓声を上げて蠢いている。
映像の中で花火があがった。光の輪が広がる。向こうの世界ではこちらほど雪が降りしきっていないのだろうか。
夢のような気持で大画面の異世界を眺めていたが、そのうちその中から聞こえてくる音声が何だか不穏な騒々しさを帯びて来た。歓声が悲鳴に変わっているようだ。


花火の華やかなリズムが途切れ、画面全体が燃え上がるほど眩しい。
やはり、それは実際の火事のようだった。人々の背が、どこか一点を見つめ指差し大騒ぎしている。山の方の森が燃え上がっている。画面の上半分を黒い影が占め始めたが、それは火事の煙のようである。悲鳴や怒号の中に「あっちだ」とか「逃げろ、ここは危ない」などの声がはっきり聞き取れる。


ここからは手の伸ばしようのない、誰に伝えようもない災害に、私はただ茫然としていた。映画の中の虚構を呑気に眺めているようでもあるし、しかしこの場所と明らかに地続きの風景が燃えてこちらに及ぶようにも思える。この世界のどこまでが内部でどこからが外部か、把握出来ないままに何かが進行している。
フロントに電話をかけようと思って手が躊躇したのは、この一部始終が自分の妄想や狂気であるという可能性を一瞬恐れたからだった。何か現実の世界なのかを把握するため咄嗟に手に取ったのは、テレビのリモコンだった。
ニュースを見て現実感を取り戻そうと思ったのだが、どのチャンネルでもニュースはやっていそうもない。というより、殆ど砂嵐画面にしか繋がらぬ、使い物にならないテレビだ。

テレビを消そうとする寸前に一つの番組に繋がった。それは何かの教育番組のようだった。
黒緑色のテーブルの上で白衣の手が何かを頻りに弄る。それは、細かい竹ひご細工のような繊細な建築模型だった。音声のボリュームを幾ら上げても聞こえては来ない。
テレビ画面の中にまで火の色が突然登場したとき、私は戦慄した。白衣の手は機械的な手つきで冷静に、建築模型の下部に次々マッチで火を点火している。初め黒い細い煙を糸のように立ち上がらせていただけの炎がある時点で一気に生き物のように膨らみ始め、ぱちぱちと音を立てながら竹ひごの骨組みにまつわりつく。


ただの木を燃やしているとは思えないほどよく燃え盛る赤い炎を、テレビカメラは淡々と映し出している。それが何らかの建築の模型のようでいて、しかも火事を連想させることに、何か符牒のようなものを感じた。このテレビの中で起きている小さな模型的な出来事は、あの大きい大画面の中に反映されているのではないか。
テレビから離れ、改めて窓の外を見た。金色の大画面の中では、不思議と騒動は収まっているようだった。もう火事は消えたのか、と少し安堵の気持ちがよぎったが、大画面の中で騒ぎ蠢いていた群衆が今度はみな一斉にこちらを凝視していることに、私は凍り付いた。
何故こちらを見ているのだろう。私が何か大声を出したわけではない。誰か他の人が向こうの世界に呼びかけたのだろうか。彼らは次第に何か心配そうに腕組みをしたり頷きあったり、少しこちらを指差してみては誰かを招き寄せたりし始めている。


テレビ画面を振り返った。先ほどの教育番組はまだ続いている。模型を燃やしていた火は消えている。
そのかわり何か寒々とした色の白い結晶が、竹ひごの建築に発生している。尿素結晶なのか氷なのかはわからないが、瞬く間の勢いで画面の雰囲気は白く氷結していく。相変わらず白衣の手が何かせわしなく動いているが、今度は何か煌めく雲母のような粉末を模型に振りかけている。


やがて外界の雪模様は、強く振り回されたガラス製スノードームの置物の内部にいるかのように、眩暈と圧迫を感じられるほどになった。
切れ切れに見える金色の大ビジョンの中、人の群れが段々凝集していくのがわかる。何かの出来事を注視し街角の電光掲示の速報を佇んで追うような見上げ方でこちらを見返している。
ふと、向こう側の世界にもこちらと同じような大ビジョンが広がっているのではないか、と思った。
だとすれば向こう側の人々が映像として見ているのは、対岸のこちら側のことである。
もしテレビの中の実験がそのまま世界に反映されるのであれば、今度はこちら側の世界が白く凍り付く世界になるだろう。


今度こそ私は不安になって部屋を出た。無我夢中でエレベーターまで走り、一階のフロントに駆けつけた。
なにが訴えたいのか気持ちは整理していないが、二重三重に奥行きを増す虚構の画面の世界の出来事を振り切るようにして来たのだ。


ロビーについた途端、とても大きな破裂音がした。飛び上がるほど驚いたが、ロビーの中は和やかな音楽が流れ続けているだけだ。宿泊客がくつろいで、何人かが拍手しながら硝子戸の外に向かって笑いをこぼしている。
「雪がやんでよかった」
「冬の花火もいいもんだね」
「最高のメリークリスマスだな」
そんな声が聞こえてくる。ホテルのフロントの係員が微笑みながらも、私を思い切り怪訝そうに注視している。
私はまるで白衣のようなガウン一枚で裸足でフロントまで降りて来たのだ。

雪は晴れやかに止んでいる。硝子戸の外にあるのは大ビジョンではなく、普通の土産物屋やホテル街であり、空には冬の花火が大きな音を立てて開花し続ける。

部屋に戻っても窓の外にあるのは、夢のようにライトアップされたスキーリゾート地の風景だった。
テレビでは、夕方のローカルニュースがのんびりとした地域情報を伝えているだけだ。
何の理由もないがあらためて、先ほどテレビの中で模型を燃やし凍らせていた冷たい白衣の手と、不安と茫然自失とでかじかんだ今の自分の白いガウンの手は、同一人物のものだったな、という気がしてきた。