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賀状書き
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image 私の誕生日は12月23日。天皇誕生日と同じ日で国民が祝ってくれる。だが、その前後は賀状書きの真っ最中。祝いやパーティーどころではない。
 書斎にこもって朝から書いている。賀状の原稿は師走初めに考える。印刷は15日ぐらいに出来上がる。宛名書きは20日前後、どうしても誕生日にかかってくるのだ。40年以上決まった行事である。もちろん大幅に遅れる事も多い。
 賀状はもらって嬉しいものだ。普段改まって報告する事もないし、年に一度はお互い安否を確認するのもいいだろうと思うのである。人のつながりとはそういうものだ。

image はじめはそう多い枚数ではなかったが、「もぐら庵」と名乗るようになってからどんどん増えてきた。なにしろ遊印なるものを好きな人は、手紙や書く事が好きな人が多い。一番多いときは1,000枚もあった。
 この宛名書きが大変なのだ。あの池波正太郎さんなどは、1,000枚以上の賀状を夏から書いていたそうだ。私はどうしても一週間で終らせないといけない。それが終わってから、やっと大掃除にかかれるからだ。年と共に700枚、来年は600枚へ……と、年々減らすようにしている。減らすというより、惰性で送るのはやめようと反省するようになった。多分これから、もっと減らすことになるだろう。師走の気忙しい時に賀状どころではないと思うのは、齢を重ねたせいだろうか。また書きながら「裏表パソコンで印刷された賀状、に何故せっせと手書きをするの?」とか、「私が出すから相手も仕方なしに書いているのではないだろうか」と思ってしまう。

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 調べてみると、有名人の賀状はシンプルなのが多い。しかも、そのほとんどが干支に因んでいる。それは明治から大正へ、昭和になっても変わらない事だ。年末の忙しい時だから干支でシンプルなのがいいのだろうか。「干支の版画と賀正」だけで言葉もないのが多い。これらを見ると「昔から賀状は無口でいいのだ」と言われているようだ。お互いの暮らしや生活リズムも違うので、何も書かない方がいいのだろうか。
image  だが、この賀状を眺めてつぶやく。「この人何も書いてないが、元気なのだろうか」と思い、「愛想がないなぁ」と思ってしまう。いらぬお世話だが、その家の昨年の十大ニュースなど書いて欲しいものだ。
 私は賀状にあえて細かい文字を入れ「新年のご挨拶と抱負」を書く事にしている。正月は時間がありすぎる。正月休み、こたつの中で寝転んで読むには細かい文字でもよかろうと思うのである。それから、もう40年ほど前から家族の似顔絵を書いてきた。それら例年の賀状は、家族の成長や犬、猫、鳥、亀など、当時飼っていたものの記録にもなっている。……だが、毎年そんな賀状をとって置いているはずもなく、ましてまとめて眺める事も難しいだろう。
 やはり「賀状は元旦に届いて欲しい」ものである。そのために、誕生日も返上して締め切りを守っているのだから……。

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