
8月3日、柳先生が私の書斎を訪ねて来た。6年ぶりに会うのだが、先生は「今回、池田さんに会うのが一番の目的です」と話された。たぶん書や篆刻の話になるだろう、そうなると、どれくらい時間が必要なのか心配になった。柳先生は熱い。途切れる間もなく話が続いていく。この大事な時間がもったいない、というような感じだ。片言の日本語だが筆談でも十分に伝わる。言葉に詰まると電子辞書で調べる。こんなところは学者らしい。昼1時半から夕方の5時過ぎまで話が続いた。食事の予約がなかったら延々と続いただろう。お互い自分の篆刻の歴史や影響を受けた人などのことも話し合った。柳先生は10歳のとき13歳上の姉より書を、兄より絵の影響を受けて育ったらしい。篆刻も書も大きな団体に所属する人は多いが、こうして個人の道を進む人は少ないそうだ。いま大学で篆刻を教えているが興味を示す学生は少ないらしい。どこの国でも伝統を続けることは難しいようだ。
夕食はまた「梅の花」の天満店に案内した。部屋に入るなり柳先生は「ここは6年前のお店とよく似ていますね」と話された。同席は共通の知人、新聞社の女性美術記者Hさんと計4人。Hさんは韓国テグの旅で偶然、柳先生の家を訪問した折、私の手紙を発見し知り合いだと分かって驚いたらしい。私が柳先生の出会いの話や何時間も語り合ったことを話すと「あなた方は真面目ですね」と言われた。たしかに.今回も余分な世間話や観光のことなど何も話さない、ただ一直線に書画・篆刻のことだけを話しあったのだ。

韓国の人だからなのか、学者だからなのか、この方の情熱はなんだろう。書や篆刻を研究している学者と遊びとしている私が長時間向かい合って話をした結論は「お互い個性的だ」ということだった。今日のことは友情を深め、貴重な体験をしているなと思った。また自分の目指す道で波長が合う人と巡り合うことは非常に難しい。しかも異国の人とは尚更だ。先生は将来「私たちみたいに日本と韓国、そして中国の個性的な人を見つけて三人展を開きたいですね」と夢を語られた。「そんな夢が実現したらいいな」と私も思った。その夜もしたたかに酔った。だがお別れの握手をしてバスを見送った後は興奮と爽やかさが入り混じり二人だけの歴史を感じた夏の暑さを吹き飛ばすものだった。そして充実な一日だった。