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2003年、大阪の大きなホテルのギャラリーで韓国人作家の篆刻展があることを知った。韓国の篆刻は見たことがないのでぜひ見たいものだ。さっそくギャラリーに電話を入れ、作者が来るかどうか尋ねてみた。「まだ一ヶ月ほど先なので近くにならないと情報が入ってきません。入ったらお教えします」と感じのいいギャラリーの女性の返事だった。
日本や中国の篆刻と韓国の篆刻とはどう違うのだろうか。会期が近くなって電話が入った。「先生は初日から会場におられます。そして一週間近くは滞在されます」ということだった。私は初日が待ち遠しかった。
初日の会場はにぎわっていた。作者らしい男性を見つけ自己紹介をして自分の本を自分の本を差し出した。本をチラリと見た先生は自分が見た篆刻と違うので、すぐどんな人か分かったらしい。その方は韓国の大学の先生であり書の研究で作家活動もしている「柳 在學先生」。後で分かったことだが、このように篆刻、書、画の三絶をできる人は韓国でも30人はいないだろうということだった。分厚い作品集を見ると大変な作家であり学者のようだ。
年齢は49歳。また日本語が片言話せるのでうれしかった。会場は日本の書展と同じようだが、篆刻は硬い石膏に彫り込んで彩色された立体的なものが多く、中国とも日本とも違って新鮮だった。しかも文字は,篆書体だがいくつかの文字が合体されている。日本でも中国でも篆刻の世界では文字を合体させることはほとんどない。このように文字の中に別の文字が組み込まれているのは私もよく使う方法だ。
私は何回も会場をがらうれしくなって思いがけないことを口走っていた。「今回、時間があったら食事に行きませんか?」。顔見知りのひどい私が、しかも初対面の人にいうのだから自分ながら驚いている。言葉は通じなくても好きな篆刻のことや書のことだから話は通じるはずだ。先生はスケジュールを見ながら快諾してくれて、3日後に私が迎えに行くことに決まった。行き先は私が知っている豆腐料理の「梅の花」の本町店だ。そこは日本的な床の間つきの小部屋があり、韓国の人を招くには非常に雰囲気がいい。私と先生は2人だけで向かい合い、テーブルに白い紙を置き、筆談と身振り手ぶりで話が始まった。
篆刻や書画、自分の仕事、作品のことなど次々と話し合った。先生は酒が強くお代りをしながら話を続ける。私は話に夢中になり、食事もお酒の味も分からない。この店は決まりとして一応2時間で食事を終えることになっている。だが話しは尽きない。それから30分ほどしてお店の方が「看板ですよ」と言いに来た。「あと少しだけ……」そう言いながら、また30分も延長。先生は「一晩中呑んで話をしたいです」と言い「なんなら続きは明日にでも」と言われた。私は夜9時に寝る人間だし、そうお酒も強くない。こんな時、韓国では二日酔になったら電話をかけ、理由を言えば会社を休んでもいいそうだ。私は驚いて「日本では考えられない」というと、これは「お国柄です」と笑っておられた。この先生も普段、お酒はそう呑まないそうだが、友達が来たり何かの時には徹底して呑むらしい。こうして異国の地で初対面の人と2人だけで遅くまで話し合うこともめったにないことだろう。そして夜遅く人気の少なくなった繁華街でかたい握手をして別れた。「もっと話したかったのだろうな……」と思いながら遅い電車に乗った。
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