高橋美江 絵地図師・散歩屋
窪島誠一郎「ある若い画家への手紙」−信州の二つの美術館から−
もぐら庵の一期一印
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extra.2「フォトエッセイ+作品集PLEASE DO DISTURB」 制作うら話」  
 約2年に渡り皆さまにご愛読いただいてきましたこの連載コラム「彫刻家 大森暁生 Please do disturb」が「フォトエッセイ+作品集 PLEASE DO DISTURB」として自身初の書籍刊行となり、6月の発売から早2ヶ月あまりが経ちました。
 発売日翌日にはすでに全て読み終え、ご丁寧かつ大変励みになるご感想を下さった方、同じく発売日当日に「楽しみにしてたよ!」と買って下さり、最近になって「ちゃんと読んでみたら結構おもしろいじゃん」と……ちょっと複雑な気持ちになるご感想を下さった方、反応はお客様それぞれですが、とにもかくにも自身の出版物が世の中に出ていく事の嬉しさ、恐さ、照れくささ、を新鮮な気持ちで毎日感じています。
 
 さて今回の刊行に際しては、当然の事ながら多くの方々のご協力を頂きました。なかでもブックデザインをして下さったデザイナーの桑名飛呂伸さん、印刷を請け負って下さった株式会社アイワードの浦 有輝さんのご苦労は計り知れないものがあります。


 桑名さんは、ここ数年さまざまなお仕事をお願いしている良き友人であり、先輩、そしてデザインについていろいろ教えて下さる先生のような方です。先輩であり先生なのに“友人”の部分でだいぶ甘えて僕が好き勝手な事を言うのでいつも困らせています。けれど毎度ギリギリのところまで「まだ出来る事はないか」と僕の希望や理想を最大限汲み取り、最後にはキチンとカタチにしてくださる姿勢にはプロフェッショナルを感じます。
 

 浦さんは今回のお仕事で初めて知り合いました。僕よりもずいぶん若い方なのに、その印刷における知識と経験の豊富さには頭が下がります。昨今の印刷技術のレベルの高さは常々驚く事ばかりですが、それは機械やインクの進歩だけではなく、やはりそれを使いこなす職人の技が全てであるということ。
 今回の本で、僕自身がこだわったのは誌面の“雰囲気”でした。それはページデザインだけではなく、紙の目、手触り、インクの盛り方、ページをめくったときにほのかに感じるインクの匂い、などなど。それらが理想通り実現したのも、全て彼らの熟練の技術や経験の賜物だということ、恥ずかしながら本が出来上がった後にさまざま教えてもらいました。

 そんな苦労を共にしたお二人ですから、刊行記念展初日を終えたあとの打ち上げでは、さぞかしプレッシャーから解放された喜びと、溢れ出る愚痴とで盛り上がったことでしょう。
 そのときの様子、ちょっと覗いてみましょうか。

 

大森 徹夜っていうのは、桑名さんもある程度はしているでしょうけど、今回は連日でしたから、そうとうキツかったんじゃないですか?

桑名 ……キツかったですね。椅子に座ったまま出来るストレッチとか覚えましたから。結局、誰にも任せられなかったんですよ。アシスタントが2人居たんですけど、最後は直さなければいけなかったんで……。フォーマットが決まっていれば「この通りに流し込んどいて」って言えるんですけど。

  そういえば、この本には「この通りに」っていうのがないですね。


 

桑名 しかも4色ページと1色ページの配置も、ある意味機械的に決まっていたので、さらに複雑になりましたよね。

  だから飽きないんですね。結果的にかもしれませんが、モノクロページが間に入っているからこそ、本に深みが出ましたよね。


 

大森 校正とかチェック作業も完全に明け方とかなんで、能力がガクッと落ちるじゃないですか。だけど不思議な閃きも出てくるわけで。デザインの神様が降りてきたり(笑)。

桑名 もう出来ないですよね。インデックスページにしても、プリントアウトしたゲラを一枚一枚切り出して、その四隅をパンチで角を落として、それを束見本に挟んでひと見開きずつ撮ったんですもんね。誰がこんな企画提案したんだ?……って自分ですから。自分で自分の首を締めたようなもので(笑)。

大森 最後差し替えたページも、事務所の台所の前に撮影セット組んで撮りましたよね。


 

あと、いつだか深夜にNojyoさんが顔出してくれて、みんなを和ませてくれたり。

桑名 そうそう、激励に来てくれたね。でも、みんな徹夜続きで疲れていたから、いまいちノリが悪かったかもしれないよね(苦笑)。

桑名 あんまり引きすぎると、流し台の栄養ドリンクの空き瓶の山が見切れちゃうみたいな。あれは一枚、写真でおさえておきたかったですね(笑)。当時は何晩も徹夜してフラフラでした。それとプレッシャーですよね、「ホントに終わんのか?」みたいな。ただひとつ信じていたのは、「出来上がるんだ」っていう事だけ。笑い話で話せるからいいけど、ちょっとした合宿でしたよね。

 

でもまぁ、彼も少ない予算で二日かけてロケしてくれたり、大森さんも作品を制作しながらだし、誰一人、楽にこなしちゃったって人はいないんですよね。だからこの本は、みんなが苦労したなりの、なにか怨念みたいなのものが詰まっていると思うんです。
浦さんの方も、最後の最後に投げられた側なんで、そうとう大変じゃなかったですか?

 

浦  そうとう大変でしたよ(笑)。立合い校正も大変でした。色の調子の最終確認なのに、なぜか文字校正してますし。今日ぜんぶ刷るのになぁ……と思いながら、挙げ句に修正が入っちゃうし(笑)。

大森 今回のようにしっとりとした紙とツルツルの紙では、使うインクの量なんかも変わってくるんでしょうか?

  まったく違いますね。しっとりした紙の方が、ぜんぜん少ないんです。
しかも今回の紙はけっこう凹凸があったんで、印圧でかなり抑えています。いわゆる「おいこんだ」ってやつですね。

大森 「おいこんだ」……我々は桑名さんを「おいこんだ」(笑)。

 


桑名 もう、ぺちゃーんこになりました(笑)

ところで浦さん、「ZINE」ってご存知ですか? 西海岸のストリート・ムーヴメントも入っているんですけど。ようは本を作る時って必ず編集の人が居ますが、そうする

 

と、ある意味で著者が好きなように作れないから、「だったら自分で、ホッチキスで中とじして作るよ」みたいなムーヴメントがあるんです。

  ほぅ。

桑名 文字もなく、ただドローイングだけの本だとか、写真も変なトリミングで載っているみたいな。そのスタイルを去年のアートフェアの時に作ったカタログで、大森さんに提案したんです。その「ZINE」のテイストを応用して、ウェブ連載とはまったく違った見せ方として企画に落とし込めないかってことになったんです。でも「ZINE」と読み物って、そもそも意識の違うものですから……。



 

大森 それが今回のかたちに行きついたわけですけど、アートフェアの時に「ZINE」をやっておいて良かったですよね。

桑名 なんだか分かんないけど、とにかく「感じとれ」とか、ある程度は「自分でよめ」ってヤツですよね。それもひとつの方向性だから、あえて説明しなくてもいい事もあると思うんです。でも今回はより詳しくなった、おっきなDMみたいなものになりましたね(笑)。

大森 ほんとに(笑)。ぼくの場合、ある意味初めて逢う人に「ふだんこういう仕事をしています」というのを伝えるのに、作品写真だけだと説明しづらいんですけど、こっちの方が分かりやすいですよね。

 

個展会場なんかでも、当初思っていたよりもみんなが理解してくれてます。ちゃんと作品集だっていうニュアンスも伝わっていましたから。

桑名 プライベート丸出しみたいなコンセプトもあったんで、余計にドローイングとかアトリエのスナップとか入れやすかったですね。たんなる作品集となると、そこまでくだけられないというか、ページが割けない。

大森 途中に景色があったりドローイングがあったりするから、作品が違和感なく受け入れてもらえた部分もあるのかなって思うんですよね。



 

ガソリンスタンドの写真がちょっとだけズレてるじゃないですか。あれがなんかね、意図は分からないですけど、映画の最後、フィルムがカタカタってズレるみたいで……。

  なんでズラしたデザインになったんですか?


 

 

桑名 ……わかりません。

         爆笑

大森 デザインの神様ですね(笑)。

桑名 ここはもうフィーリングなんです。じつは比率の問題とかあるんですけど、あんまりやんちゃな事はしせずに、ちゃんとデザインはしています。

よくみると凝っているなとか、考えてないようで何気に考えてるなとか。そういう隠しアイテム的な、探そうと思ったらいくらでもあるんで、読んでいくうちに「あれ?」みたいな、いろいろな仕掛けをみつけてくれたら嬉しいですね。

大森 作家でも、レイアウトやデザインまで、ぜんぶ自分でつくっちゃう人もいるんだけど、ぼく自身はPHOTOSHOPとか出来ない事をいいことに、そこはぜんぶプロにお任せしてしまうんです。

桑名 それは正解ですよね。

大森 結局、ぼくは彫刻をつくるプロかもしれないけれど、そういうとこまでやって



しまうと、やっぱりデザイナーのまねごとじゃないですか。やっぱりプロが見ると、見え透いてしまうというか……。それじゃ悔しいんですよね。プロが見ても「すごい事やったな」って言わせたい。そのかわり、今回は存分にワガママを言わせてもらって。理屈を知らないから、言えてしまうんで……(苦笑)。

桑名 最初から最後まで、セオリーなんてなしみたいで(笑)。どのページを広げても表情の違う本ですからね。子ども達ばっかりかと思ったら、途端にドクロですから(笑)。ある意味、出来た事自体が奇蹟ですから。もうこれは誰も真似できないレジェンドですよ(笑)。神がかっていたというか、大森さんだからこそ出来たっていうのが大きいんじゃないですかね。


それと大森さんは切り出された木材を彫り進めていくという、プリミティヴな仕事なので特にそうですけど、古典的な技法だったり、従来どおりの作業の中で、ただやっているだけじゃない付加価値的な部分が、いま作家にも求められる時代なんじゃないですかね。


大森 そうなんですよね。いつの時代もいい作家は居て、だけどなにをしたらその人が売れていけるのか、作家をつづけていけるのかという要素は、やっぱり時代によって違う気がするんですよ。そこで求められる、プラスアルファーのスキルというか……。いまの時代はなんなのか……難しいですね。


 

桑名 アルフレッド・ウォリスっていう画家がいるんですけど、漁師か船乗りだった人で、その人の幼稚園生みたいな絵が好きなんです。ぜんぜん意図して画家になった人ではなくて、それこそ無意識ですよね。意識しても引っ掛らないものは引っ掛からないし、でも意識しないと引っ掛からないしみたいな……。

 


だから簡単に「売れる」とかいうけど、実際のところは分からない。たぶん続けていかないと、あるいはどっかでカタチにしないと答えは出ないですよね。

大森 そうそう、自分の狙った通りにはならなかったけど、別のカタチで結果が出ていたりして。でもそれはなにか狙わないと出てこない。ただ偶然を待っていても。

 

桑名 「ナンセンス」って言葉が好きなんですけど、この本自体がちょっとナンセンスというか……。やっぱり型にハマって出来るものというのは、どこか響かない。なかなかそういう機会がないですけど、なんか奇蹟的に出来るものってあると思うんですよね。この本はその集大成だと思うんです。

大森 そうですよね、よく途中でストップが入らなかったですよね。でも、一番最初の打ち合せの時に、「ページをめくったら次のページが予想できないようなものをつくろう」と言ってくれていたので、間違はないはずですけど(笑)。

  私も初めてですよ、こんな企画。
かなり突拍子というか、出版社としたら



かなりの冒険ですよね。こういう本が書店で並んでいるって、ふつうあり得ないですもんね。個人出版とかカタログだとか、売らないものだったら結構あるんですが、売り本でここまでのものはまずないですよ。

大森 よく美術の世界って、画廊でつくっている自費出版の作品集って多いじゃないですか。そういうものこそ、今回みたいな事やっちゃえばいいのに、かえってぜんぜん面白くない。

  意外とたいした事ないんですよね。

桑名 「美術」っていうとなんかカッコ悪いんです。だからその枠にとらわれない事をやりたい。



自分は美術とデザインって、どこか親戚・兄弟みたいなものだなって思っていて。つくる過程では違っているけど、互いに影響しあっている。だから今回は大森さんにある美術の部分を、ある意味デザインの部分へ引き込むというか、「他の作家とはちょっと違う方向へ持っていければな」って思っていました。でもそれをどのようにまとめるかが難しかった。ついついセオリーに沿っていってしまう、安牌だから。

 

それと、今回ロケしてくれたNojyo君の写真っていうのも大きいですね、現場で感じたものを大事にして、自分の想像だけっていう事が、いかにつまらないかっていう事を常に考えているカメラマンだったので、変な写真ばかり撮るんです。それが自分は面白くて、仕事していくようになっていて。本のイントロやアウトロの部分とかは、彼の写真だからこそ出来たっていうのもありますね。

 

大森 さっきも別の出版社の人が会場に来てくれたんですけど、「作家がみんな、こんな本を作りたくなっちゃうじゃん」と言ってくれたんですよ。読者がどのように受け止めてくれるのかまだ分からないんですけど、同じ本をつくる立場からの感想だったので、すごく嬉しかったですよね。

桑名 今回のデザインのテーマは、意識と無意識の融合なんです。表紙のバインダーも、大森さんは無意識に持っていたものじゃないですか。それをどうやって意識的なカタチにまで持っていくか。中身の写真もそうですけど、すごくランダムな要素をフォーマットも決めずにつくったんだから、逆説、逆説の連続でした。

  これがどういう反応で世の中に流れていくか、すごく楽しみですね。

 

 さて、いかがでしたか?
 マニアックな話しでしたねぇ。

 桑名さんの言う「“美術”っていうとなんかカッコ悪いんです。」っていう目線、これ、今回の肝だと思っています。


 大型書店の美術書コーナーに行って、自分の本が幾多の巨匠の本の横に並ぶ事を、ある種のステイタスや達成感とする感覚への恥ずかしさ、だからといって昨今流行りのコンテンポラリーアートに多々見られる“中二病”的ノリもこれまたこっ恥ずかしい。


 余談になりますが、敬愛する立川談志さんの書に「ピエロは甘ったれている」という言葉があります。これをどう解釈するかは人それぞれ。僕はこれを「芸術家は甘ったれている」に置き換えられると解釈し、桑名さんの言う「“美術”っていうとなんかカッコ悪いんです。」も、そういう事だと受け止めました。
 自分のやりたい事は今どきのアートに乗る事でもなければ、画商さん、百貨店さんに都合のいい作品をつくる事でもなく、古いとか新しいとかそんな事でもなくて、要は“自分のモノなのかそうじゃないのか”それが全てであって、だからこそ「美術」とか「芸術」っていう“鉄板”な枠のなかだけで今回の本を作るような事はしたくなかったのです。


 普段の彫刻作品を制作するのとは違い、何度も言うように本の制作には多くの人の協力が必要です。

 たとえ各々がそれぞれのセクションのプロフェッショナルであったとしても、皆の目線が揃わなければ目指したものは生まれません。


 今回、僕はその条件に恵まれました。


 合宿のような作業を共にしてくれた桑名さん、最後の最後に無理難題を振られ、それをも完璧にクリアーして下さった浦さん、そして対談には登場しませんでしたが、終始鬼気迫る根性で、帯の名コピー「彫刻家なんかで喰っていけんのかよ?」を僕の言葉から見つけ出した芸術新聞社の担当H氏、そしてその他、刊行にご協力下さった多くの方々。また、いつもコラムをご愛読頂いている皆さま、本をご購入下さった皆さまに、この場を借りてあらためて御礼申し上げます。 
どうもありがとうございました。









 連載コラムは今後もさらに内容を充実させつつ続けてまいります。まだしばらくお付き合い下さい。


「Please do disturb」第二集が刊行される頃まで、はたして「彫刻家なんかで喰っていけんのか?」見モノですね。


(2009.08.20 おおもり・あきお/彫刻家)