高橋美江 絵地図師・散歩屋
窪島誠一郎「ある若い画家への手紙」−信州の二つの美術館から−
もぐら庵の一期一印
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vol.27「ロサンゼルス」後編  

8月27日

 L.A.での早朝は日本ではちょうど夜くらい。いろいろな初めての出来事で興奮しているので、日本の友人と話しをしてみたくなる。ホテルには無線LANが入っているのでSkypeが使える。なぁ〜んて旅慣れたような事を言っているけど、海外Skypeは初挑戦。そしてちゃんと繋がって感動。以前は海外通話に何万円もかかっていたのが嘘のようだ。技術の進歩は凄いものだけれど、デジタル化のおかげで日本でも海外でもやっていることがほとんど変わらないのは……良いんだか悪いんだか。で、すっかりたわいもない話で朝からハイテンション。もう時差とかめちゃくちゃ。

 

 この日はゆっくりお昼頃に皆さんと集合。ランチを食べに、L.A.でも評判というイタリアンへ向かう。食事はやっぱりというかどれもすごいボリューム。けれど美味しいから、海外旅行のたびに太る。
 とくに驚いたのはオレンジジュースの美味しさ。ホテルだけでなく、どこで飲んでも美味しい。オレンジジュースってほんとはこんな味だったのか、と目からウロコ。しっかり熟してから加工するカリフォルニアオレンジはこんなにも甘いとは。こんな些細な発見がほんとの海外体験なのかもしれない。

 

 TANGIERの社長 Rohさんは、移動の運転はもちろんのこと、その日のスケジュールからオススメのスポットまでいつも細やかに気を遣ってくださり、ほんとうにありがたい。それにしてもL.A.は毎日天気が良くて気持ちが良い。そしてやけに眩しくてサングラスが手放せない。あっというまに陽に焼けるしきっと紫外線が強いのだろう。
 Rohさんは「暑いでしょ〜」といつも冷たいお水とおしぼりを用意して気遣って下さるけれど、猛暑の日本からやって来た身には、過ごしやすいったらない。天気は良くても日中でも30度くらい、夜なんかは肌寒いくらいだ。豪邸が建ち並ぶのも頷ける。

 

 14時頃TANGIERに到着。さぁ、今日は忙しい。

 15時くらいから地元ラジオTeam J Stationの取材を受ける。こちらのラジオ局、L.A.在住の日本人のために、日本の各地域各ラジオ番組からセレクトしたプログラムを24時間放送している。

 そしてその中の“The Story”というコーナーで、大森暁生を紹介してくれるという。

 DJ は佐伯和代さん。幸いインタビューは日本語で良いとのこと。

 こっちへ来てからカタコト英語でストレスがたまっていたのか、すっかりリラックスして45分ほど喋りまくり……。結果、「2週に分けて放送しましょう!」と佐伯さん。……なんだか恥ずかしい。

 取材のあとは少し時間が空いたので、車で近くの街に落としてもらい一人で二時間ほど散策。そろそろお土産も買っておかないと。 





 夕方、再びTANGIERに戻り、夜のパーティー準備。そう、今回の作品納品に合わせて、お披露目パーティーを企画して下さったのだ。

 20時から始まったパーティーには、たくさんの常連のお客様やマスコミの方々をご招待し、ご接客したり取材を受けたり。「L.A.Weekly」「Lighthouse」「Weekly LALALA」などなど、地元メディアにもずいぶんと興味を持って頂いた。

 むろん通訳して下さる方は居るものの、身振り手振りとカタコト英語で、とにかく作品を理解して頂けるよう必死に皆さんにご説明。
 一緒に写真を撮ったり、大きなリアクションで作品に反応して下さる様子を目の当たりに出来るのは、作家冥利につきる至福の時間だ。

 充実した時間はあっという間に過ぎ、22時半頃にパーティーはお開き。

 さぁ、今日はこれでお仕事終了と思いきや、「このあと深夜はクラブになるから、もう一つのお店の顔も是非見ていったほうがいい」と Rhoさん。それは興味深い。

 なんでも、こちらL.A.では0時過ぎると法律で飲食店はサービスしてはいけないらしく、そこでスペースを貸出し、イベンターが飲み物や食べ物、DJ、そしてセキュリティースタッフまで手配するそうだ。
 

 焼き肉店がクラブに変わるまでのあいだ、裏の事務所で少し仮眠させてもらったり、スタッフのかたと歓談したり。

 それにしても「夜は絶対出歩くな」といわれる L.A.で、深夜に集まってくるお客って……。
 だいたい、この事務所にも先日強盗が入ったそうで「裏のカギは必ずかけておいてくれ」と。おいおい、うかうか仮眠もとりづらいよ。

 Rhoさんの奥様もいつも細やかに気を遣ってくださり、マメに持ってきて下さる果物やケーキが疲れた体に嬉しい。

 そして2時をまわった頃、見上げるほどの屈強なセキュリティースタッフが店の要所要所に立ちはじめる。
 入口に数人、店内に数人、そして二つの作品それぞれの前に一人ずつ。
 あ、ちゃんと作品もガードしてくれるのね、ありがとう。

 そして深夜3時をまわった頃、気付くと広い店内は黒人に埋めつくされている。


 何百人居るんだろう、これはなかなかの迫力……。

 六本木だってこういう場所、あんまり行きたくないんだけどなぁ……なんて思いながらも、けっこうテンション上がってきて、眠気もどこかへ。
 芸術新聞社の担当H氏からの「しっかり L.A.取材してきて下さい」の言葉が頭をよぎり、仕方なくカメラ片手に爆音と暗闇の中へ。




 ギョロッとした白い目と歯しか見えない黒人の群れをかき分け写真をパチリパチリ。もう〜、恐いっつーの。途中、なんだか喧嘩みたいな騒動があったのだけれど、あとで聞いたらアラブの王子様がテーブルの上で騒いでいたそうで……。 L.A.っていろんな人が来るんだねぇ。

 明け方5時をまわると、クラブタイムも終了。DJ の音が止むと、皆さん行儀良くスゴスゴと帰るのが微笑ましい。

 Rhoさんもさすがにお疲れのご様子。グッタリされているところ、ホテルまで送って頂き……申し訳ない。

 それにしても、この時間の L.A.は街中にほんとうに人が居ない。だからたまに歩いている人が逆に不気味。
 これだけ空いている街中を30〜40分走ってもまだ L.A.なんだから、皆が「L.A.は広い」というのも頷ける。
 そして車がないと身動きがとれないというのも納得。

 オーナーの安田さんとお母様はこの日、ナパバレーまでワイナリーを観に行かれるというので、早朝にホテルを出発されるご予定。

 で、同じく早朝にホテルに戻った僕は安田さんとお母様をお見送りしてから部屋に戻り、早速昨夜の出来事を友人にSkypeしたり、お風呂に入ったり、ベランダから早朝の街を撮影したり……。 早く寝りゃぁいいものを、昨夜からの変なテンションが抜けない。
 普段、制作での徹夜なんて日常茶飯事でこれといって苦労とも思わないけれど、さすがにこの日は、便器に腰掛けながら「おれ、いま頑張ってるかも……」なんて急にしんみりしてみたり、やっぱり明らかにテンションがおかしい。

 で、すっかり太陽も出たころに就寝。とうに日付も変わって長い長い3日目が終わる。
8月28日

 朝方に寝たものだから、この日は起きたらすっかり15時くらい。ルームキーピングを断るランプを点けておかなかったせいで、何度か内線がプルルル〜と鳴り、「うぅー……レイター……」なんて答えながら、やっと目が覚める。

 今日は滞在中初めての一日フリー。なのに、もう半日終わってしまった……まぁ、こんな日があってもいいか。
 ちょうど良いタイミングで友人から連絡が入ったので、遅いお昼を付き合ってもらう。お腹も落ち着いたところで軽く買い物やお土産を物色して、今日はさっさとホテルに戻る。

 実は旅行前から、今回のホテルではプールに入ろうと決めていた。だから水着ももちろん持参。ちょうど自分の部屋からプールが見下ろせて、この三日間ウズウズしていたのだ。
 泳ぐのは小さいころから大好きで、頭をからっぽにしてプールに浮かんでいると、疲れや時差が溶け出ていくのがわかる。けれど、そんなにゆっくりプールに入っている時間もない。後ろ髪を引かれる思いだけれど、お店が開いているうちに晩ご飯に行かないと。

 今夜の食事は、ホテルから数ブロック歩いたところにあるメキシコ料理のレストランで。
 コンシェルジュに勧められたお店なのだけれど、メキシコ料理はタコスくらいしか思い浮かばないし、自分が好物なのかどうかもよくわからない。


 でも馴染みのない料理は面白そうだ、行ってみよう。で、これが大当たり! どれを食べても美味しい。そうか、メキシコ料理は美味しかったのか。

 満腹でホテルに戻り、部屋で『シャッターアイランド』を観ながら「最近のディカプリオ渋いなぁ……」なんてつぶやきつつ、4日目終了。

8月29日

 今日も一日フリー。Rhoさんは「行きたいところないですか?」と気遣って電話を下さるけれど、週末の稼ぎ時に僕のために拘束してしまっては申し訳ないので、今日も気儘に過ごすことに決める。
 お昼を友人やそのお知り合いの皆さんとご一緒させて頂き、その後ご一緒した方からのお勧めでダウンタウンにある「Japanese American National Museum(全米日系人博物館)」へ。
 このミュージアムはアメリカ在住の日系人の歴史を展示解説していて、特に日系一世・二世の方々の苦労や努力、そしてアメリカ社会との交流を図りながら自らのコミュニティを形成していく様子を詳しく知ることが出来る。
 真珠湾攻撃を機に、ある日突然「敵」とされた当時の日系人。その中には、日本ではほとんど知られることのない何人ものヒーローが居たこと。またその一方、戦争当時も日本人の味方となってくれたアメリカ人が居たこと。

当時の日本人がアメリカから受けたことは、けれど日本も同じように他国に対してしてきたこと。感情の処理の出来ない多くの矛盾した歴史と事実に、ただただ胸が締め付けられる。

 同ミュージアムの企画室では混血の子供達をモチーフにした写真展「MIXED」が開催されていた。展示室中央にある世界地図のさまざまな国のボタンを押すと、その血が流れている子供のパネルに繋がるケーブルが光るという仕掛け。2本3本、中には5本ものケーブルが繋がっている子供もいて、島国に暮らす我々日本人にとっての当たり前が本当は当たり前でないことに気付かされる。日本では毎年お盆時期テレビでたくさんの戦争特集が組まれ、それを観ていると「日本人として」という誇りや意識が自然と芽生えてくるものだけれど、こういった写真展を観ていると「○○人として」という言葉すらとても残酷なものに思えてくる。子供達の屈託のない笑顔は多くの事を教えてくれる。

 その後、すぐ近くの「MOCA(The Museum Of Contemporary Art)」へ移動。ちょうど DENNIS HOPPER の「DOUBLE STANDARD」という展覧会が開催されていた。海外で観るアートはなんにしろデカい。むろん大きさが全てではないけれど、マーケットの箱の大きさは、その国の作品サイズの基準値を暗黙のうちに決めてしまっているようにも思えて、すこし恐い。
 『本当は大きな作品こそが自分らしい』と常々思っているので、海外に来るたび自分自身に対して「お前、どうするんだ?」とジャッジを迫られているような心持ちになる。

 「MOCA」から1〜2ブロック先にはリトルトーキョーがあり、ベタな日本のキャラクターモノが並ぶ。L.A.では案外日本人を見かけることが少なくて、ここリトルトーキョーで、ひさしぶりに日本人を束になって見た気分。

 さて、まだ陽もあるし、L.A.初心者としてはハリウッドでも見に行こうかと思いきや、どうやらこの日はエミー賞があるらしく、ハリウッド中が交通規制やらなんやらで面倒そうだ。考えてみたらスターの手形を見たところでべつに面白くもないし、ガイドブックの写真で充分。昨日のプールが物足りなかったこともあり、早々にホテルに戻ることにする。
 フロントのコンシェルジュは「エミー賞のチケットも取れますよ」と親切に調べてくれたけれど、“2400$”だって! 「大丈夫。ありがとう」と笑顔でご辞退。
だいいちブラックタイなんか持ってないしさー。





 
 この日、ここBeverly Wilshireに宿泊しているお客さんは、皆、各国各地からエミー賞を観に来ている人達なのか? それとも単に夕方過ぎるともう肌寒くなるせいなのか?
ともかくプールが貸し切り状態。あぁー幸せ、夢のよう♪ 
で、何時間浮かんでいただろう、真っ暗になるまでプールとジャグジーで過ごして、ゆったりとL.A.最終日を終える。

8月30日

 今日は、もう帰るだけ。
午前中、ロビーで皆さんと待ち合わせて、空港へ。















 途中、有名な「See’s CANDIES」に立ち寄り、最後のお土産物色。ここのお店の裏には工場があり、まさに産地直販。


 空港内、順調にチェックインを済ませ、13:20発の飛行機で帰路へ。滞在中、お世話になった皆さんとの別れは淋しいもの。でもまた来るさ。

 昨今のアートビジネスはいろいろな手法や発表形態、そしてサクセスストーリーがある。作品自体が十人十色なのだから当然のことだし、そうやって作家の可能性が広がることは良いことだ。世界に出て行くこともずいぶんと身近なものになってきた。ある者はチカラを持ったギャラリストとタッグを組んで世に出て行く、ある者はオークションを巧みに利用して名声、評価を高めてゆく。またある者は著名評論家やキュレーターに才能を見いだされ、大舞台に出るチャンスを掴んでゆく。こういったことは自分自身でコントロールできる部分もあるけれど、そうでない事のほうが多い。いわゆる「そういう星のもと」ってやつ。
 今日までの自分を考えてみると、このコラムでもかつて紹介してきた、いくつものアパレルとのコラボレーションなどと同様、今回のTANGIERさんへの納品は自分自身の活動の結果として、まさしく「そういう星のもと」を感じるし、自分らしい姿だと思う。
 他業種との仕事というのは、同時に自分の作品を常に客観視するためのニュートラルな目線を自身に持たせてくれる点でも気に入っていて、今の自分があるのはそのお陰だと思っている。結果として自分にとっての「そういう星のもと」は今現在、とても自身の幸福論に近いところにあるように思う。

 はたして、こういう星のもとにいる自身の作品や活動が、今後、美術界における“成功”というものに繋がるのかどうかはわからない。けれど、芸術村という田舎政治の中で、ただただ高値を競ったところでさして嬉しくもないし、アートビジネスの中での自身の生業とはいえ、やはり自分の幸福論には従っていきたいと常々思うのだ。

  今回納品した2つの大作、制作したのは何年も前で、国内外で幾度かの大きな晴れ舞台を経験し、その後しばらくはウチの工房で静かに手元に置いていた。
 けれどこれからはこのTANGIERさんのもと、毎日多くのお客様を迎え、きっと充実した日々を送ることだろう。遠く海の向こうで、新たな出会いが毎日のように起こってゆくだろうことにシンプルに感動する。

 そして、もう少し先のこと、このTANGIERにまだ見ぬ大作が納まるかもしれないとだけ、最後に記しておきたい。
 RhoさんはじめTANGIERの皆さん、またお会いしましょう。

(2010.11.05 おおもり・あきお/彫刻家)