高橋美江 絵地図師・散歩屋
窪島誠一郎「ある若い画家への手紙」−信州の二つの美術館から−
もぐら庵の一期一印
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vol.24「disclosure」  
 

 彫刻の展覧会をやっていると、お客様から実に様々な質問を頂くのだが、一番多いのはやはり「作り方」についてかもしれない。たしかに木を彫って形作る木彫は途中の工程が気になるし、ひとつ作り上げるのにどのくらいの時間がかかるのかも興味を持たれるところだろう。
 そういったお客様の疑問に対して、以前から何かしらのかたちで回答をしたいと思っていたし、それ自体を展覧会の演出として使えないものかとも考えていた。

 
 いわゆる「メイキング」というものだが、これ、ともすれば「苦労自慢」になりかねないし、“非日常感” や “イリュージョン” のタネ明かしになってしまっては、せっかくのお客様のイマジネーションを壊してしまう。
 そこらへん、非常に塩梅が難しい。

 さて先月、新宿高島屋の美術画廊において開催した個展に「disclosure」というタイトルを付けた。「disclosure」とは「開示」という意味だ。
 2007年に、同画廊のオープニング個展という大役を務めさせて頂き、以来3年ぶりとなる今回の個展は、自身にとっても節目となる大きな発表であるし、そこで展示方法についても何か新しい挑戦がしてみたかった。うん、まぁ、「挑戦」というと気取りすぎだね、「実験」かな、ともかくそんな気持ちで取り組んだのだ。

 
 
 
 
 

 そもそも、この連載コラム自体が、制作舞台裏を「disclosure」しているわけなので、昨年出版した当コラムの書籍『PLEASE DO DISTURB』を中心として会場レイアウトを考えていき、それに加え今回の出品作約 60点の図面も全て「disclosure」することに決めた。
 それぞれの図面は、そもそも描いたときにはお客様に見て頂くことを想定していないので、単体ではチカラが足りない。それに一つひとつ額装するほど、もったいぶるものでもないので「じゃあ量で見せよう」ってことに決めた。壁一面、図面で埋めつくしたら面白そうだ。
  そして図面は完成された絵画とも違うので、飾るというよりは、「工房の床に散らかっている」感じにしたかった。なので、図面どうしが重なっていても、隠れてしまっても、それはそれ。バンバン貼り重ねていき「見えづらければめくってもらえばいいや」そういうことに決めた。

 こういう一つひとつの「決めた」ってこと。これ、この仕事の醍醐味な気がする。

 会社や企業のような大きな組織では、最初の “ひらめき” を具体的なものにするためには幾つもの会議体を通り、何人もの意見に左右されながら決定していくわけだけれど、それによって当初の “ひらめき” は良くも悪くも姿を変えてしまうのが常である。
 けれど超個人事業である彫刻家は、自分の “ひらめき”、いや、もっといえば “衝動” を最終決定にすることも出来る。こんな痛快なことはない。


 話を戻そう。

 
 
 

 そもそも、いまこのコラムを読んで頂いている方の中には、「へー、彫刻家も図面を描くんだぁ」と、まずはそこから意外に思われるかたも多いだろう。
 作家によって作り方やモノのとらえ方は十人十色なので一概には言えないけれど、自分の場合は図面は必要、必ず経なければならない必要作業なのである。
 そして自分流では図面は必ず実物大で描く。10センチの作品も2メートルの作品も、そう同じように。
 なぜかというと、今度その図面をトレーシングペーパーに描き写し、さらに製材した木材にトレースするからだ。建築家や工業デザイナーと違い、この作業にC A D ( キャド )もパソコンも使わない。使うのはカーボン紙だけ。手作業でトレースした図面と木材との間にカーボン紙を挟み、またその上からなぞるのだ。まさにローテクの極み。
 この図面は正面図と側面図、または上面図のいずれか2面を描く。2面図なので、大事なことはこのとき各部分の整合性がないといけない。

 この部分がデッサンとは大きく異なるのだ。そしてもうひとつデッサンと大きく違う事は、パースを排除するということ。たとえばモチーフの頭部から足元までをデッサンで描く場合、一箇所アイポイントを決め、その定点から遠近法的に描くわけだけれど、図面の場合は描く位置(高さ)に合わせて常にビューポイントを水平移動させる。

 ……あ〜、なんだか文字にするとややこしいねぇ。

 
 
 

 さらに図面の段階でやっておく作業に「木取り[きどり]」がある。「木取り」とは、必要なサイズの木をどのように準備するのか、といういわばプランニングだ。
 まずモチーフ、サイズ、形状、仕上げ方等の状況によって、どの木材を使うか、木取りはそこから始まる。最近では、海外に輸送すること(乾燥または湿度による狂いや割れ、カビなど)を想定して木取りをするということもある。木材の種類が決まったら、今度はそれをどのように図面に当てはめていくか、これも次の木取り作業。

 
 大きな作品の場合、一つの材ではまかないきれないので幾つかの材を貼り合わせる。このことを「木寄せ[きよせ]」と言う(寄せ木[よせぎ]ともいう)のだが、どう木寄せするのかも図面の中に描き込んでいく。さらには木材を縦で使うか横で使うか、柾目(まさめ:年輪に対して垂直な断面)を使うかあえて板目(いため:年輪に対して水平な断面)にするか、木表(きおもて:年輪の樹皮側)と木裏(きうら:年輪の芯側)をどのように合わせるか、そんなことも図面を描きながら考えていく。


 と、こんな具合になかなかにややこしい作図作業なわけだが、さらにややこしい事は、この彫刻用図面の中に幾つもの「含み」を持たせていることだ。「含み」なんていうと専門用語っぽいけれど、要は「ここはなりゆき」「ここは保留」「ここは……面倒くさいからあとで考えよ……」そういうこと。なのでこの図面、いわゆる建築や工業製品の図面と違って他人には読み解けない部分が多い。自分がわかっていれば良いわけ。緻密なんだか、曖昧なんだか、はたまたいいかげんなんだか、彫刻の図面とはそんなものなのだ。
 余談だが、以前、工芸家の名匠 黒田辰秋さんの図面を見たことがあるのだけれど、設計図というよりも “完成予想画” といったほうが近い、とても温かみのあるもので、「あぁ、やっぱりこれでいいんだ」と、どこかホッとしたことを覚えている。
 
 
 これら図面の作業が終わると、ようやく気持ちも落ち着いてくる。半分くらい出来上がったような気になる。「これから彫るんでしょ?」とお思いだろうが、実は図面を描いているとき頭の中でいっぺん彫っているので、そう遠くない先にゴールは見えたような、そんな気分になるのだ。
 展覧会場などでは、「彫刻家さんは、丸太の中にすでに作品が眠っていて、それを彫り出すだけだと聞きますがそれは本当ですか?」なんてことをお客様からよく聞かれる。
 たしかに、目の前に丸太をドーンと置いて、腕組みしながら「見えた!」とか言って一心に彫り始める、皆さんはそんなイメージを彫刻家にいだかれるかもしれない。けれど、図面をしっかりと描くことにより、正確にかつ早く、そして材料も無駄にすることなくイメージ通りの作品をつくり上げることが出来る。
 高村光雲さんや平櫛田中さんのような“天才”と称されるかたの制作方法はわからないけれど、少なくとも僕くらいの彫刻家にとって図面はとても大事な役割を担っているのだ。




 さてさて、「disclosure」と名付けた個展は、新宿高島屋での会期を無事に終え、次はJR名古屋タカシマヤに巡回する。
 会期中、図面を掲示したことについては、賛否両論ともに頂いた。もちろん、否定意見も納得のいくものだし、想定していたことでもある。それらの意見は今後のために大事に参考にさせて頂きたい。

 と同時に、興味深げに図面を見入ってくれるお客様も大勢いた。今回、特に感じたことは美術の道を志す高校生や浪人生、そして芸大生、美大生が実に多く来てくれたこと。これは嬉しかった。そこいらの評論家に誉められたって別に嬉しくもないけれど、一世代も二世代も違う彼らと「美意識」にズレがなかったことは、これは大きな自信になった。そして、キラキラ目を輝かせて一生懸命に質問をぶつけてくる彼ら彼女らに対して、今回の図面の掲示が少しでも役に立ったのであれば、この展示を試みた意味もあったというものだ。

 いま、僕はウチの工房で週末に細々とやっている木彫教室以外はとくに教育の現場には立っていない。今後作家として自分自身さらに良い作品を目指そうとするがゆえに、「人に教えている場合じゃないだろう」という思いも、正直頭のどこかにあった。
 けれど彼ら彼女らこれからこの道をめざす後輩たちへ、たとえばそれが発表というスタイルだったとしても、いま自分が持っているものを余すことなく見せていくことは、ひょっとしたら少し先を歩く者の義務でもあるのかもしれない。そんな事を最近思うようになった。先輩面や押しつけがましい事をするつもりはさらさらないが、結果としてレベルの高い後輩が現れてくれることは、自分自身をさらに鍛えることにもつながるだろう。

 うん、どうやら、「disclosure」は、あながち今回だけのテーマではなくなりそうだ。
 
 
(2010.5.20  おおもり・あきお/彫刻家)