高橋美江 絵地図師・散歩屋
窪島誠一郎「ある若い画家への手紙」−信州の二つの美術館から−
もぐら庵の一期一印
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vol.14「アートフェア東京」  
 今年も恒例のアートフェア東京が無事に終わり、早一ヶ月あまりが過ぎた。
 恒例というのも、アートフェア東京への出展も今回で四回目(旧「NiCAF '99」を含む)。初めて参加したときは三人展で、その後三回は個展で発表してきた。移り変わりの激しい今の現代美術界において、三回つづけて個展をさせて頂けた事は、ほんとうに恵まれた状況であると感じるとともに、多少なりとも自負としているところもある。もちろん、毎回多くの課題や宿題も残るのだけれど、それを次のフェアでまた再チャレンジすることの出来る状況はありがたいことだ。

 アートフェアというもの自体、今では記事が載らない美術雑誌はないくらい、この日本でも定着してきたけれど、初めて僕自身がアートフェアというものを知ったのは「NiCAF YOKOHAMA'93」だった。予備校時代に教わっていた講師の先生がこのアートフェアに出品するというので、当時美術大学に入学したばかりの僕は、“アートフェア”というものが一体なんなのかも分からないままに会場であるパシフィコ横浜に向かった。するとそこには信じられない数の作品がズラッと並び、なにより各作品のスケールの大きさに驚かされた。中でも立体作品がとても多かった印象で、“美術展”というよりは“野外作品”を室内に持ち込んでしまったかのような迫力に圧倒されたことを、今でも強く覚えている。大好きな作家であるマグダレーナ・アバカノヴィッチさんの彫刻の実物を初めて見たのもこのフェアだったと思う。そして、アートフェアのその華やかさは、学生だった自分をすっかり虜にし、その時から自分の作品をこのアートフェアに出品する事が遠い憧れになったのだ。
 
 
 六年後、その実現は突然にやってきた。当時、僕の作品を熱心に扱ってくれていたgaden.comさんが「NiCAF'99」において山内隆さん、金澤一水さん、そして大森暁生の三人展を企画してくれたのだ。アートフェアなど、遠い遠い存在だと思っていた自分はすっかり興奮し、「会場で一番目立つ作品をつくってやる」と鼻息も荒く臨んだのだ。
 その頃は実家の片隅で制作しながら、少しずつ不動産屋を回りアトリエ物件を探していたのだけれど、“会場で一番目立つ作品”となるとこれはもう一日も早く広い作業場を確保しなければならない。不動産屋巡りもピッチをあげ、そうして見つけたアトリエが荒川区町屋に構えた最初の工房だった。「NiCAF '99」本番までに残された時間は約三ヶ月、一日十五時間寝る間も惜しんで創り上げた「ぬけない棘のエレファント」は、今でも自分の代表作になっている。
 
 「NiCAF」が「アートフェア東京」と名前を変え、新たなスタートを切った2005年。この時は増保美術ブースから出展し、念願である個展での発表だった。前回のフェアから六年経ったこのときも、偶然ながら現在の足立区北千住の工房への引っ越しをしながらのフェア準備となった。このフェアで発表したシャンデリアの作品「Gothic lunatic」はその後に続くゴシックテイストを取り入れた作品展開のきっかけであり、代表作である。また、同じくその時に発表した鏡を使った作品は、幸いにも多くのお客様の記憶に残ったようで、その後のフェアでも「あのときの鏡の人ですか?」と訪ねられるほど。
 さらに二年後の「アートフェア東京2007」。今度はギャラリー小暮ブースから個展での発表。この時はお隣の村越画廊ブースから発表されたミヤケマイさんとのコラボ企画。“遊園地”という共通テーマのもと、それぞれが互いの世界観で個展を創り上げた。2人の合作もそれぞれのブースにコソッと一つずつ忍ばせたりと、二人展とはまた全然違ったコラボ・ダブル個展。作品はいつも生真面目な大森暁生も、この時ばかりはミヤケさんの遊び心あふれる世界にすっかり影響を受け、架空の遊園地“BAT LAND”を夢中で創り上げた。これは今振り返っても面白い企画だったなぁ、と思う。
 そして今春、「アートフェア東京2008」。今回から毎年の開催になったようだ。この事をみてもアートフェアが国内に浸透してきた事を感じる。
 今回は新生堂ブースとギャラリー小暮ブース、自身初の2ブースからの出展。新生堂ブースでは2ブース分の空間を、画家の瀧下和之くんと大森暁生とで左右2つに分けて、それぞれの個展を展開した。

 個展テーマは「愚かな装飾-Dull ornament-」。モチーフとなるのは剥製の動物たち。剥製を作り、飾るという行為は、実に残酷で醜く、下劣なことだと思う。また同じように、ドーベルマンなどかつて狩猟に使われた犬は、当時の人間にとっての実用性のために断耳や断尾をされ、いまでは狩猟には使わなくとも、単なる伝統という名の下にその残酷な行為だけが続いている(※国や地域によってはすでに禁止されています)。
 けれどそういった行為は、頭では残酷で下劣な行為とは分かっていても、造形物としては実にカッコ良く、迫力があり魅力的だと感じる、矛盾した自分がいる。「動物虐待」と声高らかに唱えるのは自分の役割ではないだろう。美術家としての自分は、むしろ“人間の美意識”の行き着く先は、それほどまでに残酷さと表裏一体だという事を目に見える具体的なカタチにしたかった。だからそもそも剥製という装飾物化された動物たちの姿を、さらにデコラティブに加飾し、「愚かな装飾」と唱(うた)ってみた。

 そして、もう一方のギャラリー小暮ブースでは“エロス”をテーマに六作家での饗宴となった。こちらでは「うさぎ」をモチーフとしたビッチな鏡と手枷の2作品を出品。しかしながら、他の五人の作品の世界観の濃いこと……かなり圧され気味だったなぁ。

 こうして今までのアートフェアを思い返すと、それぞれが何かそれまでの自分を大きく変えるターニングポイントに、おのずとなってきているように思う。同時に、常に新たなテーマへ取り組むことで、観る者を飽きさせないという事は、“プロ”として必要なサービス精神だという事も、実は密かに自分に課している事だ。時にそれは、“売れる”ことより優先させるときだって当然あるのだ。


 アートフェア自体も、この十五年くらいの間に随分と状況が変わったと思う。当時は“いかにも”な業界の祭典であったのが昨年の「アートフェア東京2007」あたりから、急激にポピュラーになってきたように感じる。来場されたお客様との会話の中でも、休日にフラッとフェアに遊びに来て、「これ気に入った!」と一見で購入してくれるようなお客様も増えてきた。時代が変わってゆく過渡期を肌で感じる事が出来るのは、今のこの時、美術家をやっていることの幸せかもしれない。
 けれど、アートフェアが一般的になってゆくことと引き替えに、徐々に出展作品が小品化していることは、個人的には残念な現実だ。ブース自体が小さくなっていることもあるが、やはりアートが世の中に浸透してきたことで、“魅せる”ことよりも“売る”ことへと、作家も画廊もあきらかに意識がシフトしていることは確かだろう。開催を重ねるごとに、“アートフェアでの戦い方”というものも出来つつあるように思う。

 「NiCAF YOKOHAMA'93」で初めて観たあの迫力と華やかさは、いまだに自分の憧れとして強烈に焼き付いている。作家も画廊も、普段の画廊空間での発表では満たされない何かを、アートフェアという場所に思い切りぶつけてくるような、そんな夢があったように思う。しかしよくよく考えてみれば「アートフェア」なのであって「アートショー」ではないのだから、今が正しい姿なのだろうか?難しいね。ご覧になった皆さんはどう感じられたのだろう?

 僕自身の答えは……
 もし、また次回出展の機会があれば、その時に作品で回答したいと思う。

(2008.05.16 おおもり・あきお/彫刻家)