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vol.7 前編よりつづき
今回の視察では2日目以降、日本とニューヨークを行き来しながらアートディーラーをされているTさんと現地で落ち合い、その方にいろいろと案内をして頂いた。心強い限りである。
まずは数年前にリニューアルしたMOMAへ。11年前に来た時に比べ、フロアがだいぶ増えたようだ。それにしても驚くのは展示されている作品と来場者との距離である。ルーブル美術館やメトロポリタン美術館もそうであったが、ピカソやゴッホをはじめとする名品に顔がくっつく程の距離で鑑賞できる。だから画家達の生々しい筆跡が手に取るように観る事ができ、神経質さや大らかさ、そういった作家の性格まで伝わってくるようだ。図鑑や教科書に載っている名作も、何百年という時間を難なく超えて、ゴッホは実際にこの世に存在していて、その手でほんとうに描いていたんだ、というあたりまえの事にひどく感動する。
MOMAもゆっくり観ていたいところであったが、次の目的地チェルシーへ移動。かつてコンテンポラリーアートの主流はソーホーだったようだが、地価の高騰などの影響で現在はこのチェルシーという街に多くのコンテンポラリー系ギャラリーが集まっているらしい。
地震の無い国である。何十年も前からの煉瓦作りの倉庫が、今もそのままの外観で立ち並ぶ。多くのギャラリーがその倉庫内部をリノベーションし、天井の高い真っ白な大空間を造り、展示室やオフィスとして利用している。これでカッコ良くならないわけがない。惚れ惚れする空間である。
この大空間を生かした本場のアートを早く観てみたいと焦る気持ちを抑えながら、ギャラリーを一つひとつしらみ潰しに回る。つぎつぎ巡る……きっと次こそ……あれ……。そう、面白くないのだ。全然。いや面白いという表現は曖昧だね、感動しないのだ。何だろうこの感覚。もしかしたらそれは、“手数”としてクオリティーの稚拙なものが大半を占めていて、技術や技法としてその国の文化特有の熟成されたモノが見当たらないからなのかもしれない。もちろん現代のアートシーンでは、その部分が評価の全てでない事は充分に承知の上だけれど、歴史と時間を刻み込んだ倉庫という重厚な空間の中で、作品の“品格”が圧倒的に負けてしまっていた。だからだろうか、頭で思い描き、期待していた“本場ニューヨーク”とのギャップがどうにも埋まらない。僕だけではなかった。どうやらTさんも同じ感想。
ここ数年の世界的なアートフェアブームは大変喜ばしい事ではあるが、もしかしたら作品の“品格”までもがアートフェア特有のあの仮設ブースのレベルに揃ってしまったようにも思えるのだ。流行りやノリだけの作品は、仮設ブースでは上手に誤魔化せても“力を持った場”の中では簡単にそのメッキが剥がれる。この事は、アートフェアでの発表が多くなった自分自身こそ重々肝に銘じる事なのだ。
二人ともなんともしがたい気分のまま2日目の夕食へ。グランド・セントラル・ステーション内にあるステーキハウスで、なんとオーナーはあのマイケル・ジョーダン! 天井に星座が描かれた巨大なメインコンコースを見上げながらの食事は、なんとも気持ちが良い。この店で一番大きいサイズというステーキも、ほんとうに美味しくてペロリと完食。こうして2日目が終わった。
(2008.01.24 おおもり・あきお/彫刻家)
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