高橋美江 絵地図師・散歩屋
窪島誠一郎「ある若い画家への手紙」−信州の二つの美術館から−
もぐら庵の一期一印
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 執筆というやつである。
 といっても、多くの小説家やエッセイスト達のそれらこそが本当の執筆であるのだろうから、まずは「執筆」という言葉にこの自分の文章力がついていくのか、そこからのスタートなのである。このコラムのタイトルはよくホテルなんかにあるドアメッセージを捩って「PLEASE DO DISTURB」と洒落込んでみたつもりだけれど、実際のところしばらくは「DO NOT DISTURB」な気分である。まぁしかし、好奇心旺盛なのと欲張りなことは自分でもよく分かっていて、それと引き替えにとにもかくにもこれからしばらくの間、恥をさらす覚悟を決めたことだけは間違いない。どうかお手柔らかにお付き合い下さい。
 
   さてさて、女々しい言い訳はこのくらいにして記念すべき初回の本題に入ろう。
 自分は彫刻家である。正確に言えば木彫家になる。初個展をデビューとするならばちょうど十年間この仕事を続けてきた。作品や制作の様子などはいずれゆっくりとご紹介させて頂くとして、今回はこの夏の話題をひとつご紹介したいと思う。
 とその前に、話はやや逸れるが…常々思うことなのだが、彫刻家に限らず画家、陶芸家、その他作家だの芸術家だのと呼ばれる人間てのは、そもそも自分の創りたいモノを好きなように作っているくせに、それを「見に来てくれ」と案内状を送りつけ、わざわざ足を運んでもらったうえに「素晴らしいですね」だとか「さすがですね」などと持ち上げてもらい、あげくにはご祝儀や手土産まで頂くという、なんと傲慢な人種であるか。こちらは商売。発表とは日々の仕事の延長にすぎないわけだけれど、個展を開けばさも特別な事のように「おめでとうございます」と言われる、随分と調子のいい職業なのだ。




 



 で、そんな事への少しばかりの後ろめたさと多大なる感謝の気持ちに変えて、ウチの工房では毎年夏に暑気払いをかねて、この一年間お世話になった方々、友人、知人を花火大会にお招きしている。「日頃のご愛顧に感謝して」というやつである。工房のある北千住という街はすぐそばに荒川が流れ、金八先生でおなじみの広大な土手が広がる。その土手を使って毎年「足立の花火大会」というのが催される。その規模たるや打ち上げ数1万2000発、約60万人の人出といえばお分かり頂けるだろうか。そんなだから当日フラッと来て、良いロケーションで見ようなどとはとんでもない話しなのである。そこでウチ流の“おもてなし”「場所取り」の出番となる。がしかしこの「場所取り」、法的には公共地の占拠になるわけであまり具体的な方法、手法がちょっと書けないのであるが、とはいえキチンと地元ルール? に沿って毎年常連がその腕を競う。昨今ワイドショーなどで何ヶ月も前からの場所取りが各地で社会問題になったりしているが、足立区は(暗黙ではあるが)きまって数日前からのスタート。法は横に置いておくとしても、なかなかマナーと仁義に長けた街なのだ。  
 かくして地元の猛者達に負けじと今年も打ち上げ場所目前の最前列、勝手に“アリーナ”と呼んでいる場所を死守し、当日を迎えるのである。毎年平日開催ということもあり、おおよそご案内を送った方のうち3分の2くらい、約25から30人くらいが遊びに来てくれる。
 ところがである。今年はこの宴会も5回目、だいぶ評判も広がり「今年は友達も誘いたい」とか「職場のみんなで」とか嬉しい返事の数々。当日ふたを開けてみれば50人、いやもっとだな、もう知らない人までウチのブルーシートに目一杯居る。打ち上げ前は、「あそこのブルーシート、あんなに場所広く取りやがって、そんなに来んのかよ?」と白い目で遠巻きに見ていたまわりの場所取り猛者達も60人の登場にさぞびっくりであろう。「ふっ、どうでい」と意味不明な優越感。この快感も本人の密かな楽しみなのだ。
 
 
 
 こういった宴会、案外自分がちょっと人見知りでお酒も元々飲めないものだから、よそで呼ばれて参加するのは少し躊躇するタイプである。そんなだからウチの宴会に来てくれた人にはそういう居心地の悪い思いをしてもらいたくない。そこへいくと花火っていうのは、誰でも初めてでもそんなに無理に喋らなくても理屈抜きに楽しめる、もってこいの肴なのだ。
 約二時間、お腹の芯に響き渡る大至近距離の花火に今年もみんなが感動して、楽しんで、喜んでくれた。
 僕自身、その笑顔を見るたびに来年の場所取りのプレッシャーが早くも襲ってくるのである。

(2007.09.01 おおもり・あきお/彫刻家)