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≪前頁より続き≫ というわけで、古の隱語には文字を題材とした者はなく、之有るは漢代に始まる。同じく文心雕龍の明詩第六に「離合の發(おこ)るは、圖讖(としん)に萌す」という。離はわかつ、合はあわせる、ここにいう離合は詩體名であるが、要するに文字を偏や旁などに分解し、その分解した者をまた併合して別の字を作ることをいう。謎の中の離合體はまた別字、破字、拆字などとも呼ばれ、漢書藝文志の小學に「別字十三篇」があり、「後世經傳、既已に乖離し、博學の者も、又た多聞闕疑の義を思はず、義を碎き難を逃れ、辭を便にし説を巧にして、形體を破壞す」という。經傳ではないが、説文解字序にいう「苛人受錢の苛は止句なり」などがその例である。 圖讖とは吉凶を豫言するものであり、前漢末におこり後漢の初に盛んであった。後漢書尹敏傳に「讖書は聖人の作る所に非ず、其の中に近鄙の別字多く、頗る世俗の辭に類したれば、恐らくは後世を疑誤せしめん、帝敏を納れざれば、其の闕文に因りて之を増して曰く、君無口、漢の輔と為らんと、帝之を見て之を怪しみ、敏を召し其の故を問ふ、敏對(こた)へて曰く、臣前人の圖書を増損するを見、敢へて自ら量らず、竊かに萬一を幸へりと、帝深く之を非とせり」とある。君に口が無ければ尹になる。尹敏はうまく仕組んだつもりが、帝に見破られてしまったのである。
こうしたことから離合は占卜にも用いられ、顔之推の顔氏家訓に「拭卜破字經」、隋書經籍志に「破字要訣」の書名が見えるが、今は佚して傳わらない。この文字占いは後には測字、相字などとも呼ばれ、特に宋代に盛んとなり、名人上手の名が今に傳えられ、當時の文人學士の詩文集にも「贈相字某生」などと題した詩が少なからず見られる。
この離合は後漢書公孫述傳に、述が夢に「八厶子系、十二為期」を得て、公孫當貴の兆とし、遂に帝を稱したことが見える。八厶子系は単に公孫の二字を分解して並べただけで、語として全く意味を成さないが、このような初期の単純な、それだけにまた明快な者が、だんだんと手の込んだ意味有りげな者に進化發展してゆくのである。 |
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というわけで、今回は面白くもおかしくもない前置を一くさり。
そうそう、前回はシッポにつまらぬ注のような者がついていた。あんな者無くてもよいのに、墨の編集部が、わからない人がいるといけないとて、讀者を軽く見て勝手につけた者であるから、あたしゃ知らないよ。 |
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