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さ
て先に張奉にからかはれて一向に良いところのなかつた
澤、張奉がどのやうにからかつたのか今知ることを得ないが、
の字からして、敢えて門に入るも、未だ堂に升らざれば、君子と成るを得ず、その澤は子にも及ばないであらうぐらいのことを言つたのかもしれない。その
澤、呉志本傳の注引呉録に「魏文帝即位す。權嘗て從容として羣臣に問ひて曰く、曹丕は盛年を以て即位したれば、恐らくは孤之に及ぶ能はざらん。諸
以て何如んと爲すと。羣臣未だ對へず。澤曰く、十年に及ばずして、丕は其れ歿せん。大王憂ふる勿きなりと。權曰く、何を以てか之を知ると。澤曰く、字を以て之を言はば、不十を丕と爲す。此れ其の數なりと。文帝果して七年にして崩ぜりと」と、ちよつと良いところを見せている。彼の地の然るべき地位に在る者は突嗟にこの程度の頭の働きを見せることができなければならないのである。
《圖》
熹平石経
孔子廟堂碑
魏
文帝の名は丕、丕は不一であるが、隷書以來不十に作る例は珍しくない(圖参照)。不十は十ならず、つまり十年ともたないとの意である。ついでに口天について蛇足をつけておく。シナ人の姓には字がちがっても音が同じ者がある。字を書ひて見せればすぐにわかるのだが、口頭で言ふ場合は、了解に便するために、張なら弓長張、李なら木子李のような言ひ方がある。口天呉といふのもその例の一つであり、ずつと後まで、今も呉を口天に作る書き方がのこつているのである。
姓
と言へば、簡化字のせいでおかしなことがある。範の簡化字は范。そこで本来范姓であるのに、范は範の簡化字であるから、我が姓の本字は範なりとて、範某と刷つた名刺を持つてやつて來た者が一、二に止まらない。まつこと笑止である。もつとも范姓の范字は、漢印はみな竹に從つて笵に作り、艸に從ふ者はないやうだ。董姓はみな童に從ひ、重に從はない。魏の本字は巍。この字は國名の場合と、姓名、地名、高の義の場合とでは、山の位置がちがふ。こんなことも、ちよつと知つておいてよからう。
*著者の意向により、中国のことを“シナ”と表記しています。
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