昭和15(1940)年4月から約1年間、主な婦人雑誌8誌に登場した女性執筆者を調べたもので、それぞれの読者に対する影響力や思想的傾向を洗い出している。
対象になっているのは「婦人公論」「新女苑」「婦人倶楽部」「主婦之友」「婦女界」「婦人朝日」「婦人之友」「婦人画報」である。
1、2編しか書いていない執筆者について、ざっと論じたのち、3編以上執筆している〝おなじみ〟の顔ぶれ40数人に検討を加えていく。稲子は、特に重要視されている作家群の中でも〈所謂、最前線にある人々〉で、〈指導的婦人の位地にあると見做される人々〉の筆頭に、林芙美子、吉屋信子とともに挙げられている。『素足の娘』がベストセラーになったことで存在感が増し、作家としても、読者に与える影響力の面でも、最も重要なグループ3人のうちの1人に分類されている。
稲子についての評言を、少し長くなるが引用しておく。
〈窪川稲子は主として雑誌を通じて作品に、評論に其の鋭い洞察力を使駆し、何ものをも見抜き、純、不順を鑑別する能力は他に類を見ないように思われる。それだけ潔癖で糞真面目で、無類の正直者であるので、時々、過去の経歴を匂わせるのは残念である。けれども主として此の人が書く雑誌が婦人公論、新女苑、婦人朝日であるから、彼女のものを読者がかなり批判的に、好意をもって見ているとすれば、良い傾向を辿る人である事は認められると思う。彼女の過去の情熱が、今、かかる時に好ましき方向に向けられるならば力強い限りである。此の意味に於て窪川稲子の今後に期待さる所多い〉
続いて林芙美子については、〈作家らしい作家であり、詩人らしい詩人〉〈女流作家群の最上級に属する人〉と持ち上げ、〈愚劣な虚構の多い作品の氾濫する中にあって一つの奇跡〉とまで作品を評価しつつ、〈彼女に物を訊いたり、彼女が何か素晴らしい指導原理をもっていると見る事は錯誤も甚しい。出来るなら、そのまま、そっとして置いて良い作品を作って欲しい人である〉と論評している。
〈性格からも、作品からも窪川稲子、林芙美子、
やはりプロレタリア作家であった中本たか子も加えた4人について、出版社側の意見も付記されている。稲子と中本たか子については、〈昔、貧しい人の味方となって、闘った人だけに、そうした婦人達が何を考え、何を求めているかをよく知っている〉〈転向者の故をもって冷遇されるのは二人のために気の毒だと思う〉という意見が寄せられている。
この中に宮本百合子の名前がないのは、百合子がこの3人の人気作家とは別の、「評論家」グループに分類されているからだ。百合子はこの群では最も行数を割いて分析されており、〈至極、常識的にして、合理的な論調が基調をなしているのは好ましい事であるが、時折鋭い論法が潔癖すぎる程に、良いものは良いとし、悪いものは悪いと率直に論断しすぎるきらいもない事もない〉と、その影響力も見逃していない。
執筆者それぞれの詳細な分析をすすめていった結果の「四、適材適所」という章では、稲子は「女性一般の文化教養問題」の専門家として「C」評価、〈多方面な才能〉を評価される百合子は「婦人時局指導の一般問題」「一般文化教養」「女性の結婚と恋愛問題」「働く婦人の一般問題」の専門家と見なされながら、全分野で「C」評価をつけられている。いくら知識があり指導性や影響力があっても、思想に問題があると見なされれば「C」群である。そうしておいて出版社の自制を促しているわけである。
この調査論文を読んで感じたのは、執筆したのはおそらく文壇内部の人だろうということだ。1年間、婦人雑誌に載った雑文や短い小説を読んだだけで、素人がこれだけ的確に作品も含めた全体評価をくだすのは難しい。ところどころ笑い出したくなるような言い回しもあり、明らかに官僚の作文ではない。稲子や百合子、なかでも稲子へのきわめて好意的な文章を読む限り、彼女に近いところにいた、生身の彼女をよく知る人なのではないかと思う。
部外秘とされつつ、「
昭和15年7月10日の「在庫品再審査」でやり玉にあがった十数冊に、蔵原惟人の『芸術論』や伊藤正徳『軍縮論』などと並んで、窪川稲子の『牡丹のある家』も含まれていたと畑中は書いている。小説はこの1冊だけ。昭和9(1934)年刊行のこの本には、表題作のほか、原泉をモデルにした「プロレタリア女優」や「小幹部」「幹部女工の涙」など東京モスリンの争議に材をとった連作など、プロレタリア作家時代の作品が収められているからだろう。稲子自身、この絶版についてはとくに書いていないので、著者には告げずに密かにとられた措置かもしれない。この時期、稲子の動向は厳しく注視されていた。
参考文献=「最近に於ける婦人執筆者に関する調査」(情報局第一部)、畑中繁雄『覚書 昭和出版弾圧小史』(図書新聞社)