ミニシアター再訪



ちょうど2年前にスタートした連載も、岩波ホールの回で終わりを迎えた。

取材開始は2012年の初夏だったので、ここから数えると2年半が過ぎたことになる。

この連載を通じて1980年代以降の東京のミニシアターの歴史をたどり直し、当時の活力を伝えつつも、今の時代から失われたものや問題点も見つめたいと思った。

この時代、多くのミニシアター系映画の記事を書いていたので、ミニシアターに育てていただいた、という思いもあり、その恩返しも込めて始めた企画だった。

かつてミニシアターにかかる作品は妙に挑発的だったり、難解だったりする作品も多く、一度見ただけでは分からないものもあった。

だからこそ、その不可解さを自分なりに解釈していくことにスリルがあった。

上映された作品がすべて傑作だったわけではないし、興行がふるわず、人知れず消えていったものもあったが、それでも不思議な魅力をたたえた映画が多かったし、そうした作品にこちらも大きな影響を受けた。

それに劇場や配給会社を支えていた人々も個性的な人が多く、そのこだわりやチャレンジ精神にふれることが楽しかった。

連載でご紹介した劇場をざっと振り返っておくと──。

シネマスクエアとうきゅう、俳優座シネマテン、PARCOスペース・パート3、シネ・ヴィヴァン・六本木、ユーロスペース、シャンテ・シネ(後にTOHOシネマズシャンテ)、シネスイッチ銀座、シネマライズ、シネセゾン渋谷、シネクイント、文化村のル・シネマ、岩波ホール。

東京のミニシアター界をひっぱってきたパイオニア的なミニシアターが中心になっている。

その劇場がある“街”にもこだわりたいと思った。

街によって集まる観客層も違うので、それも意識しながら劇場はプログラムを組んでいた。

街が劇場の個性を作り上げたといってもいいだろう。

そして、劇場があることで、その街も特別のものに思えた。

渋谷、六本木、新宿、銀座、神保町……。

そんな先駆的なミニシアターの街を再訪しながら、劇場だけではなく、街の表情も以前とは変わりつつあることに気づかされた。

連載の執筆中に予期しなかった事件もいくつか起きた。

昨年(2013年)5月には銀座テアトルシネマが、今年の5月には吉祥寺のバウスシアターが閉館となった。

こうした劇場の〝ラストショー〟を取材するため、最終日の最終回に足を運んだ(2つの劇場の閉館レポートは書籍化の時、書き下ろし原稿を収録予定)。

今年の12月には商業的なミニシアターの先駆け、新宿のシネマスクエアとうきゅうも閉館となる(この劇場だけではなく、ミラノ座、新宿東急なども入ったミラノビルそのものが取り壊しとなる)。

銀座テアトルシネマや吉祥寺のバウスシアターは最後までその劇場らしい番組作りにこだわったが、シネマスクエアとうきゅうの場合、何年か前にミニシアターとしての役割を終えていて、今は拡大系作品をかける普通の劇場になっている。

それでも、かろうじて名前だけは残っていたわけだが、遂にビルそのものも消える。

劇場だけではなく、ミニシアターを支えていた独立系の配給会社にも変化が起きた。13年にはウォン・カーウァイ・ブームを巻き起こしたプレノンアッシュが倒産、今年の11月には独立系配給会社の老舗だったフランス映画社も破産申請した。

東映が配給し、フランス映画社が配給協力をしたテオ・アンゲロプロス監督の遺作『エレニの帰郷』が、今年の1月にシネコンで封切られた時は、連載で初日の様子もレポートした(この会社の熱心なファンも来ていた)。

ミニシアター・ブームの原点ともいうべき、シネマスクエアとうきゅうの閉館とフランス映画社の倒産。

これによって何かひとつの大きな時代が終わったような気もした。

一方、2011年に閉館となった恵比寿ガーデン・シネマは2015年3月下旬に再度オープンするという。どんな劇場になるのか、いまはまだ全貌がつかめないが、その様子を見守りたいと思う。

映画館全体に目をやると、デジタル化があっという間に進んだ(名画座の中にはプリントからデジタルに移行できず、閉館を余儀なくされた館もあった)。

さらにシネコンの隆盛によって、複数スクリーンを持つ館が常識となりつつあり、劇場に行ってから見る映画を決める、という観客も増えた(ミニシアターがワンスクリーンしかないことに驚く若い観客もいるという)。

また、近年のミニシアターは単館拡大という方式をとるようになった。同じ映画をいくつかのミニシアター(時にはシネコンも含む)で同時に封切るスタイルだ。

そのため、上映週が短くなり、かつての『ニュー・シネマ・パラダイス』のように1館で1年近くロングランするという興行は今では考えられない(そのせいか多くの劇場の歴代興行記録の上位作品は80年代後半から90年代に生まれている)。

短いサイクルでどんどん新作がまわる時代となったのだ。

これはインターネット時代のスピードなのかもしれない。ツィッターを見れば分かるように、ものすごいスピードで細切れの情報が流れていく。ニュースのサイトも、時間がかわるごとに、新しいニュースが流れ、前のものは消えていく。

そんなスピードに追いつくために映画館にはどんな変化が必要なのだろう?

ミニシアターだけではなく映画館の意義そのものも、問われ直している時代だろう。

DVDやBDに関していえば、レンタル店では大半の作品が100円前後で借りられるし、セルの値段もぐっと下がり、ヘタに映画館に行くより安い。また、衛星放送でもすごい数の作品が日々流れている。

さらにユーチューブを見れば無料で世界中の映像を見ることができる。時には劇場映画もアップされていて、日本では未公開のレアな作品と出会うこともできる。

予告編にしても、かつては映画館に行かないと見られなかったが、近年、予告編を最初に目にする場所はインターネット上だ。

とても便利な時代だが、文化状況に関していえば、スピードばかりが優先されることで、失われてしまったものがあるはずだ。

かつてを振り返り、現代の状況と比較することで、いまの時代に欠けているものが見えてくると思う(文化的な危機感を抱いている劇場関係者もけっこういた)。

この連載のタイトル、「リビジット(Revisit)」には〝再訪〟だけではなく、〝検証〟という意味も含まれている。

ネット連載はここで一旦終了し、ここからは本へと移行して、新たなリビジットが始まる。

これまで連載を読んで下さった方々、ありがとうございました。15年の春に刊行予定の本もどうぞよろしくお願いします!

大森さわこ



大森さわこ
80年代より映画に関する評論、インタビュー、翻訳を本や雑誌に寄稿。ミニシアター系のクセのある作品や音楽系映画の原稿が多い。人間の深層心理や時代の個性に興味がある。著書に『ロスト・シネマ~失われた「私」を求めて』(河出書房新社)、『映画/眠れぬ夜のために』(フィルムアート社)、『キメ手はロック! 映画101選』(音楽之友社)、訳書に『ウディ・オン・アレン』(キネマ旬報社)、『カルトムービー・クラシックス』(リブロポート社)等がある。雑誌は「ミュージック・マガジン」、「週刊女性」、「キネマ旬報」等に寄稿。芸術新聞社の「アメリカ映画100シリーズ」では、主力執筆陣の一人として筆をふるっている。
Twitterアカウント ≫ @raincity3
ブログ(ロスト・シネマ通信 (=^・^=)大盛招き猫堂)≫ http://blogs.yahoo.co.jp/raincity3