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ずいぶん前、初老の紳士がやって来て家に印材があるので、それに「ねずみと自分の名前」を彫ってくださいという依頼があった。その石は立派な桐箱に入っている。開いてみると、篆刻関係の本で見たことのある田黄石(でんおうせき)である。田黄石はとくに人気のある石で、その希少性から驚くほど高価なものだ。本物を触るのはもちろん初めて。彫ってみると非常に彫りやすい。幸い、仕上がったねずみ印も気に入ってもらえたようで、お互い気持ちのいい仕事になった。
こうして考えてみると、やはり高価なものはいい。刀にあたる感触が気持ちよく、印材のブランド物はさすがだなと思った。やはり価格は安いほど粗悪品が多い。篆刻を始めたばかりの人が「篆刻がこんなに難しいものと思わなかった」とよく言うのも、もしかしたら、単に硬く彫りづらい石にあたっただけかもしれない。やはり石を選ぶ目をもち、経験も必要だ。機会があれば色々な石を求めて自分で彫ってみて、彫り具合を試してみることだ。「柔らかいものの方が彫りやすい」あるいは「固めの方が彫りがいがある」など、相性は人それぞれなのだから。
昔は彫っていてどうしても気に入らなかったら、サンドペーパーで磨ってしまっていた。そして一から、同じテーマを同じ石に彫り直すことにしていた。これは「石に対する礼儀だ」と思い込んで、ずっと守ってきた。
しかし最近になって、この考えを変え、同じ寸法の別の石に、すぐ彫り直すことにしたのだ。途中でやめた石、欠けてしまった石などは箱に入れておいて、後日暇な時にまとめて磨ることにした。この方が効率いい。そして新しく磨き直した石は、寸法ごとに整理して石箱へ入れられ、また彫られる時を待つ。
私の石は、注文用と個展用、印影用の3種類がある。いつでも使えるように、これらを整理して保存している。個展用の時などに彫って並べる石は、主に研ぎ直した石を使っている。印影用の石とは、書籍やチラシなどを印刷するために彫る石で、一度彫って面白い線の印影ができればいいのだ。つまり、印影(印を押した図柄)だけが必要なのであって、彫った石は必要ない。
ある時、彫っていて面白い線になる石を見つけた。それは、柔らかすぎるくらいの石。力を入れるとポロポロと崩れる、見るからにお粗末な石だ。だがら、贈り物や注文用の石に使うことはできない。欠陥ではあるのだが、彫り方によって偶然が重なり、面白い線になるのがとても楽しい。
それ以来、印影用に彫る石はこれに決めている。
私は石に対してこだわりなく何でも彫る。硬い、やわらかい、ねばっこい石と、採れた山や場所によって、一つとして同じものはない。 極端にいえば、粗悪品でも構わずに彫っていく。どんな石でも人と一緒で特徴があるものだ。 それぞれの石から、彫る楽しさや難しさを習ってきた。ただ彫ることだけに喜びを感じているので、どんな石でも執着をもたない。彫る前のドキドキ感は昔と同じ。それを思うと多くの石たちに感謝している毎日だ。
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