第24回 古今亭志ん生(4)世の中思い煩うことはない

志ん生の墓参り

 このことをもっと早く書かねばならなかった。私はかつて、志ん生の墓を詣でている。しかも、愛弟子の、こちらも故人となった古今亭圓菊さん(以下、敬称略)と。もう十五年以上も前になるか、雑誌の企画で圓菊を取材させてもらった。圓菊の名は、志ん生が二つ目時代に使っていた芸名を継承した。入門は一九五三年。六一年末に志ん生が脳出血で倒れ、翌年高座に復帰したが、家から寄席へおぶったのが圓菊だった(当時、二つ目でむかし家今松)。六六年に真打ち昇進し、圓菊となるが、師匠をおぶった功労賞で真打ちになれた、などと陰口を叩かれた。
 しかし、その後圓菊は、師とはちがう独自の芸風を築いて人気者となる。「花王名人劇場」で、「圓菊・枝雀」二人会をしたことがあるが、私が圓菊を知ったのはこれだ。枝雀と同じくオーバーアクションに特徴があり、東京落語にこんな人がいるのかと驚いたのだった。取材では、志ん生をおぶった時代を中心に話を聞いたのだが、私が志ん生の落語をよく聞いていることを知り、「それじゃあ、お墓参りをしましょう」と言ってくださったのだ。
 取材場所からタクシーですぐ、志ん生の墓がある文京区・小日向「還国寺」に着いた記憶があるから、あれは講談社の仕事だったか。最寄り駅は有楽町線「江戸川橋」。すぐ上を神田川が流れていて、これが昔の江戸川だ。神田川に架かる江戸川橋を渡り、すぐ西へ入っていくと「還国寺」がある。浄土宗の寺だ。
 細かなことは忘れてしまったが、小日向台地の上がり端にある小じんまりとした寺で、参道は少し傾斜している。志ん生の入る「美濃部家代々」の墓は、立派な墓石だった。一番右が志ん生夫人。その次が志ん生。「松風院孝誉彩雲志ん生居士」と刻まれている。ポエティックでいい戒名だ。こうして「松風」や「彩雲」という言葉と一緒に並ぶと、「志」や「生」という文字が力強く見えてくる。
 その左が長男・馬生。まさかその次に、こんなに早く志ん朝の名が刻まれるとは、そのときは思いもしなかったのである。
 「今でも、ことあるごとに墓を詣でる」と圓菊は言っていたが、この時も、長い間、手を合わせていた。そのときは気づかなかったが、これはぜいたくな体験だった。

できないことの強さ

 前回書いた、矢野誠一の志ん生評「不器用な生き方の持つ、独特の美しさ、気高さ」について、ずっと考えている。「不器用」と言えば、その後、故・高倉健の専売特許みたいになったが、健さんは車の運転もすれば、馬も器用に乗りこなす。主演した映画「遥かなる山の呼び声」を見ると、トラクターも操れば、サイフォンでコーヒーを入れることもできる。なかなかどうして、器用なものである。
 もちろん「生き方」が不器用、という意味かも知れないが、しかし、結果としては成功者であろう。出演した映画のフィルモグラフィーを見ても、ほとんどが主役。名前が出て以後、健さんが脇に回った作品なんて、あったっけ?
 いや、別に健さんを貶めようというのではない。古今亭志ん生の「不器用」について考えたいだけなのだ。何しろ、落語とバクチと酒(若い時は女郎買い)以外、ほとんど何にもしなかった、できなかった人だからだ。
 スポーツ全般がまずダメ。志ん生がグラブをはめて、キャッチボールをするなんて、まず想像がつかない。自動車・バイクの運転もしなければ、自転車に乗った形跡もない。楽器については、三味線を爪弾くぐらいのことはしたか。行楽としてハイキング、あるいは旅行へ行くということもほとんどなかったのではないか。
 カメラもダメ。映画も積極的に見ないだろうし、レコードをかけて音楽を聞くなんてこともなかったはずだ。煙草は吸ったが、火をつけるのはライターではなくマッチ。息子の志ん朝がライターで煙草に火をつけるのを見て、「ナニを持ってるんだ」と聞き、志ん朝が「お父っあん、これはガスライターのボンベだよ」と答えたところ、「そんな危ないものは捨てちまいな」と言った。と、これはどこで読んだエピソードだったか。
 それで志ん生の人生が退屈であったり、不便であったり、つまらなかったかと言うと、そうじゃないだろう。便利を知らないから、不便だとも思わない。何か新しいことを身につけようという気も、もともと持ち合わせていなかったと思う。どう考えても、志ん生がスマホを操ったり、ロケットに乗って、宇宙へ飛び立つという図は、ぜったいに想像できないのだ。
 あれもこれもできなかった。しかし、「できない」ことはしないために、「できる」ことへの集中力がすごかった。つまり、落語、酒、バクチである。これに持てる生命力をとことんつぎ込んだ。そうしてできたのが「志ん生」落語なのである。
 玉川一郎を聞き手とした、息子の馬生との対談で、志ん生はこんなふうに言う。
「あたしにはこの商売、適してるんです。自分に適したものてえものは、恐ろしいものですね。人のできないっていうものが、ワーッとできちゃう」
 できないことを寄せ集めたような人間が、「人のできない」一点に賭けて、大成して、古今亭志ん生になった。

世の中思っているようには動かない

 落語しかないと定め、細い道を切り拓いて大通りにした志ん生。落語の中に生きているような人生がこうしてできあがった。
 志ん生最後の弟子となった古今亭志ん駒は、海上自衛隊出身という変わり種。「よいしょ」が巧く、「よいしょの志ん駒」と呼ばれている。考えてみたら、馬生、志ん朝が逝き、志ん馬、圓菊、志ん五も今は亡く、生き残った志ん生の弟子は、志ん駒ただ一人ということになる。
 『志ん生最後の弟子 ヨイショ志ん駒一代』(うなぎ書房)という著作もある志ん駒は、一九六三年七月に入門。自衛隊の制服姿で一度入門志願するも断られ、二度目に再挑戦し、了承された。思わず志ん駒、くせが出て敬礼したという。このとき、志ん生は前述の通り、巨人軍の忘年会で倒れ、リハビリ状態にあった。
 内弟子として入門した志ん駒は、しかし毎日、笑って暮らしていた。
 たとえば外出のとき、リハビリのため、志ん生はなるべく歩けと医者に命じられていた。そこで夫人が声をかける。付き添いは志ん駒。
「父ちゃん、行ってらっしゃい、ちゃんと歩くんだよ」
「おう、わかったよ」と言いつつ、戸を閉めた途端、「おぶってけ」と志ん駒に命じた。これではなんにもならない。
 志ん生が、ある日、どういうわけかトカゲを飼おうと言い出したことがある。
  夫人に言った理由がふるっている。
「うめえもんをどんどん食わせて、でかくなったらおめえにハンドバッグを作ってやる」
 それに対しておりんさん。
「父ちゃんが一番はじめに食われちゃうよ」
「じゃあやめよう」
 このあたりの呼吸は、志ん生の十八番「火焔太鼓」の頼りない古道具屋主人と、しっかり者の夫人のやりとりそのままだ。
 志ん駒の師匠・志ん生の思い出は尽きない。海上自衛隊時代に比べたら、噺家の修行など「屁みたいなもの」と言うのだ。たしかにそうだろう。
 こんな話もある。ある時、テレビ出演することになった志ん生に、志ん駒が付き添う。ところが、腹を下していて、出番直前にウンコをもらした。すかさず志ん駒は、汚れた猿股を脱がして、これをきれいに洗った。志ん生は仕方なく、テレビには猿股なしで出演したのである。ウンコで汚れた猿股を洗った弟子の功に対し、志ん生は二千円を渡した。現在の物価で、一万円ぐらいの感覚か。
 これに味をしめた志ん駒、その後「師匠、たまにはウンコをもらしてください」と言った。その答えが、まさしく落語だ。
「世の中君が思っているようには動かないよ」
ギリシャの哲人が吐いた名言のように聞こえてくる。

思い悩むことはない

 こうして志ん生のエピソードを引いているだけで、なんだか、心が晴れ晴れとしてくる。日々の暮らしの中で、つまずき、思い悩み、絶望することもあるが、そんなこと、ウンコの話一つで、どうでもいいような気になってくるのだ。
 ついでに引いておこう。矢野誠一と小沢昭一の対談で、弟子の朝馬に志ん生が稽古をつけている際の話。朝馬は舌が短い。そのため、江戸落語における主要人物「八っつあん熊さん」の「八っつあん」が、どうしても「はっさん」になってしまう。「はっつあんって言ってごらんよ」と志ん生。しかし朝馬は「はっさん」としか言えない。そこで志ん生、思わずこう言った。「だめだお前、アラビアンナイトをやってるんじゃないんだから」。
 「はっさん(ハッサン)」から、「アラビアンナイト」を引き出す言葉のセンス。これはちょっと学校では、学べないだろう。
 志ん生は川柳を多く残している。同じ五七五ながら、俳句と違って、季語やその他約束事に縛られず、諧謔と風刺で日常を切り取るのが川柳のおもしろさ。いくつか志ん生らしい作を紹介しておこう。

 耳かきは月に二三度使われる
 気前よく金を遣った夢をみる
 干物ではさんまは鯵にかなわない
 言訳をしているうちにそばがのび
 焼きたての秋刀魚に客が来たつらさ
 ビフテキで酒を飲むのは忙しい
 三助が着物を着ると風邪をひき

 いずれも日常のささやかな場面に、ふと人間らしい営みのおかし味を感じさせる句ばかり。人間は何もしないでいても、本来こっけいな存在である。こっけいと思われることを恥辱と思う人は、それに抗い、精一杯威勢と見栄を張る。しかし、そのこと自体が、また滑稽であることを、志ん生は早くから見抜いていた。そして、自分の稼業である落語に存分に生かした。
 我々は、何もくよくよと思い悩むことはない。なぜなら、志ん生の落語があるからだ。


著者プロフィール

岡崎武志(おかざき たけし)

1957年大阪府枚方市生まれ。1990年上京。書評家、古本ライター。雑誌編集者を経て、『文庫本雑学ノート』(ダイヤモンド社)でデビュー。近著に『上京する文學』(新日本出版社)、『雑談王 岡崎武志バラエティ・ブック』(晶文社)、『昭和三十年代の匂い』(ちくま文庫)、『蔵書の苦しみ』(光文社新書)などがある。