ミニシアター再訪



渋谷は個性的なミニシアターが多いことで知られてきた街だ。

この土地の歴史的な資料を集めた「白根記念渋谷区郷土博物館・文学館」には渋谷の歴史をたどった壁年表があり、そこに渋谷地区の名物となった事柄や風俗があげられているが、80年代後半の年表には<ホコ天(歩行者天国)>、<渋カジ>などと並んで、<ミニシアター>の文字もある。

この時代、渋谷に登場したミニシアターの中で、とりわけ都市の先鋭性を象徴する劇場として注目されたのが、シネマライズだ。30代から40代くらいのマスコミ関係者と話をすると、若かった頃、“憧れの劇場”として名前をあげる人も多い。

場所は公園通りの商業施設、PARCOの横にあり、スペイン坂にも面していた。スペイン坂の劇場の壁に『ドラッグストア・カウボーイ』(89)や『トレインスポッティング』(96)といった上映作品のポスターが貼られているのを見て胸をときめかせた、と語る宣伝部の女性もいる。

人気作品の場合、貼られたポスターが盗まれたことも、たびたびあったようだ。また、先日、あるDVDショップを訪ねたら、『ドラッグストア・カウボーイ』のパッケージの横にこんなポップが立てられていた。

「初めて学校をサボって、渋谷のパルコの前にある映画館に行った。見たのは『ドラッグストア・カウボーイ』。パンフレットを買うお金なんてなかったけれど、あのドキドキ感は今でも忘れられない。罪悪感と映画の内容が入り混じり、カッコつけたい盛りの中学生の僕は、この映画の虜になった。思いっきり背伸びしていた、あの日の僕」

ただのイメージ・コピーなのか、実体験を回想した文章なのかよく分からないが、初公開から24年が過ぎた今、“パルコの前にある映画館”にかけられたことを覚えている人も少ないはずだから、書き手の思いが投影されていることは間違いない。 当時のティーンにとって忘れがたい映画体験ができる場所でもあったのだろう。

『ドラッグストア・カウボーイ』のガス・ヴァン・サントや『トレインスポッティング』のダニー・ボイルのように、今も第一線で活躍する監督たちの初期の代表作を上映していた劇場であり、他にも『神経衰弱ぎりぎりの女たち』(87)のペドロ・アルモドヴァル、『ポンヌフの恋人』(91)のレオス・カラックス、『ガンモ』(97)のハーモニー・コリン、『レザボア・ドッグス』(91)のクエンティン・タランティーノ、『ヨーロッパ』(91)のラース・フォン・トリアー、『ヴァージン・スーサイズ』(99)のソフィア・コッポラ等、シネマライズは多くの新鋭監督たちも発掘している。

映像、音楽、ファッションのセンスがよくて、挑発的なアート感覚を取り入れた作品を上映し、ニューヨークやロンドンのとがった劇場のテイストを東京でも楽しむことができる。

シネマライズはそんな場所に思えた。

ドラッグストアカウボーイ
◉90年代、「ストリート」という言葉がもっとも似合ったのが渋谷だったのではないか
地下にある映画館は打ちっぱなしのコンクリートの壁に囲まれ、階段ごとに椅子があったが、その階段が高くもなく、低くもなく、とても見やすかった。キャパシティは220席。

そんな劇場が初めて渋谷に登場したのは86年6月6日のこと。ホテルを映画館に作り変え、メリル・ストリープ主演の『プレンティ』(85、松竹富士配給)でオープニングを迎えた。

イギリスの劇作家デイヴィッド・ヘアの舞台作品の映画化で、戦時中にレジスタンス運動に身を投じたエキセントリックな女性の情熱と失意の物語だ。海外(90年代)ではケイト・ブランシェットの舞台の代表作としても知られているが、その後のシネマライズのカラーを考えると、大人の女性向きの文芸作品が第1回作品であったことが少々意外に思える。

この劇場の認知度を上げたのは、むしろ2本目の『ホテル・ニューハンプシャー』(84、松竹富士配給・19週上映)からで、こちらは興収1億700万円を超える大ヒット作となっている。
当時、これほどの注目を集めることができたのは、原作者ジョン・アーヴィングの人気に負うものだろう。80年代は海外の翻訳文学に勢いがあり、アーヴィングが書いた『ガープの世界』『ホテル・ニューハンプシャー』はロングセラーになっていた。
海外の翻訳文学がかつてほど注目されなくなった現代の目で振り返ると、あれほどまでにアメリカの翻訳文学が支持されていた時代があったことが信じられない気さえする(人気作家、村上春樹が翻訳を手がけたアーヴィング作品もあったので、彼のファンも買っていたのだろう)。

この劇場が本当の個性を獲得し始めたのは、イギリスの前衛的な監督、故デレク・ジャーマンの絵画的な映像作品『カラヴァッジオ』(86、松竹富士配給)を上映したあたりからだろう。

シネマライズの賴光裕社長や賴香苗専務によれば、特に上映を望んでいた作品の一本だったそうだが、それまで映画業界以外の世界にいたので、開館した頃は大手の映画会社と契約を結んでいた。そして、上の階にあった映画館は拡大系作品を上映する渋谷ピカデリーとして稼働していた(当時、オリバー・ストーン監督の『サルバドル/遥かなる日々』(86)やアラン・パーカー監督の『ミシシッピー・バーニング』(88)などを見た覚えがある)。

地下にあったシネマライズでは87年の『カラヴァッジオ』の後、88年にデイヴィッド・リンチ監督のおぞましくも美しい『ブルー・ベルベット』(86、松竹富士配給・11週上映)、89年にはドイツのパーシー・アドロン監督の心にしみる『バグダット・カフェ』(87、クズイ・エンタープライズ配給・17週上映)やピーター・グリーナウェイ監督のグロテスクな美意識に彩られた『コックと泥棒、その妻と愛人』(89、ヘラルド・エース配給・17週上映)90年には前述の屈折した青春映画『ドラッグストア・カウボーイ』(GAGA配給・13週上映)といったヒット作が出て、都市型のアート性の高い映画館としての基礎が築かれていく。

そして、変化の時を迎えたのが92年で、大手の映画会社を離れて、独立系映画館として本格的にスタートする(渋谷ピカデリーだった上の階は90年に閉館し、96年にミニシアターとして再スタートする。キャパシティは303席)。

この年、トッド・ヘインズ監督の異色作『ポイズン』(91、ユーロスペース配給)をかけた。後に同劇場で大ヒット作となる『ベルベット・ゴールドマイン』(98)を作ったヘインズ監督の記念すべき長編デビュー作である。

『ポイズン』の原作はジャン・ジュネ。実験的なテイストを盛り込んだ3話構成の映像作品で、(『カラヴァッジオ』同様)、ゲイのテイストが出た挑発的な作品としても通の間で話題を呼んだ。プロデューサーは90年代以降、ヘインズ作品をはじめ、『ボーイズ・ドント・クライ』(99、キンバリー・ピアース監督)、『ヘドウィグ・アンド・アングリー・インチ』(01、ジョン・キャメロン・ミッチェル監督)等(いずれもシネマライズで上映)、多くの挑発的なインディペンデント映画の話題作を世に送り出すクリスティーン・ヴァションである。

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◉公開当時話題となった作品の数々
自身の独創的な映画作りの秘密についてヴァションが98年に出版した著書『インディーズ映画が世界を変える』(デイヴィッド・エデルスタイン共著、日本版は04年、アーティストハウス刊)はシネマライズの賴香苗専務が翻訳を担当して世に送り出されたが、その中にこんな一節がある。

「ニューヨークのインディペンデント・シーンにはふたつのグループが存在していた。絵の具が乾くのを二時間見ているだけのような超がつくほどの実験映画を撮るか、あるいは名声への道への名刺代わりとなるようなミニ・ハリウッドな映画を撮るかのどちらかだ。両者の中間は存在しなかった。が、わたしたちは、革新的であると同時に、娯楽性もある映画を撮りたかった――たとえば、〔中略〕まったく新しい方向性を示唆していた『ブルー・ベルベット』のような作品だ」

こうした姿勢は実は当時のシネマライズにも通じていたのではないだろうか。
本のあとがきで専務はヴァション本人の印象をこう書いている。

「訳者がクリスティーン・ヴァションに初めて会ったのは、<シネマライズ>が某大手映画会社との契約を終了し、完全〝インディペンデント〟な映画館としてスタートした直後で、『ポイズン』の上映を決めた後、彼女が日本の市場調査の為に来日した時でした。(駆け出しだった彼女は)自分の仲間たちで作っていくはずの〝人の心を揺さぶる〟ような映画について熱く語っていました」

ヴァションの作品群はシネマライズでも上映されていったが、挑発性や先鋭性がありながらも、娯楽作としての要素もある、という方向性は、この劇場の他の上映作品にも見られる特徴だろう。

93年にはカンヌ映画祭で注目されたクエンティン・タランティーノ監督の衝撃的なデビュー作『レザボア・ドッグス』がかけられているが、その後のタランティーノ作品を見れば分かるように、マニアックなこだわりを散りばめながらもエンタテインメントの要素もあり、出演する俳優たちにも華があるのが、タランティーノ映画の特徴だ。

前述のトッド・ヘインズ映画の映画にしても、グラムロックに生きた人々の栄光と挫折を追った『ベルベット・ゴールドマイン』にはユアン・マクレガーやクリスチャン・ベール、ジョナサン・リース・マイヤーズなど、今ではメジャー作品で活躍する俳優たちの若き日の姿を見ることができる。

シネマライズの作品はアート性が高いが、それでいて色気や娯楽性を含んでいるものも多かった。

最先端のアート志向のミニシアターとして当時話題を呼んでいた六本木のシネ・ヴィヴァン・六本木との大きな違いはそこだろう。シネ・ヴィヴァンのプログラムの常連執筆者はニュー・アカデミズム派の評論家の蓮實重彦であり、ジャン・リュック・ゴダール、ヴィクトル・エリセ、テオ・アンゲロプロス、ダニエル・シュミットなどヨーロッパの高度な知性と教養を感じさせる作品の上映が目立った。

しかし、アート感覚がありながらも、シネマライズの作品群にはもっとファッション性があり、セックス&ドラッグ、(時には)ロックンロールの要素も入っていた(ゲイやレズビアンが出てくる映画も多く上映している)。

DVDショップで見かけた前述の『ドラッグストア・カウボーイ』のコピーに出てくる中学生は学校をサボって、この作品を見にいったようだが、シネマライズにはこうしたティーンたちも引きつける空気が流れていたのだろう(『ドラッグストア・カウボーイ』はマット・ディロン演じるジャンキーが旅を続ける物語であり、アウトサイダーの心の軌跡を綴った映画だ)。

シネ・ヴィヴァン・六本木はティーンのアウトサイダーが好んで入る場所ではなかったはずだ。これは六本木と渋谷という街の個性の違いでもあるのだろう。

不良性もある渋谷の個性を最大限に生かした超ヒット作『トレインスポッティング』が、いよいよ96年に登場することになる。

(この項つづく)

シネマライズ
シネマライズは、センター街側からスペイン坂を上り切った、渋谷区宇田川町13-17に所在
大森さわこ
80年代より映画に関する評論、インタビュー、翻訳を本や雑誌に寄稿。ミニシアター系のクセのある作品や音楽系映画の原稿が多い。人間の深層心理や時代の個性に興味がある。著書に『ロスト・シネマ~失われた「私」を求めて』(河出書房新社)、『映画/眠れぬ夜のために』(フィルムアート社)、『キメ手はロック! 映画101選』(音楽之友社)、訳書に『ウディ・オン・アレン』(キネマ旬報社)、『カルトムービー・クラシックス』(リブロポート社)等がある。雑誌は「ミュージック・マガジン」、「週刊女性」、「キネマ旬報」等に寄稿。芸術新聞社の「アメリカ映画100シリーズ」では、主力執筆陣の一人として筆をふるっている。
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