彫刻家 大森暁生
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vol.31 美術家という就職《当時のAERA(’91.3.5号)》

vol.31 美術家という就職《当時の美術予備校のパンフ》

vol.31 美術家という就職《ミロビのデッサン》

vol.31 美術家という就職《若き日の大森青年》

vol.31 美術家という就職《卒業制作》

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当時刊行のAERAアエラ(’91.3.5号)掲載記事。
美術系進学がキラキラと華やかだった高倍率時代を伺わせる。文中「天狗たちの挫折」は名文句。ちなみに右ページの写真隅っこには、当時の大森青年が小さく写っているんです。

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当時の美術予備校のパンフレット。
優秀なデッサンは翌年のパンフレットに掲載されるため、皆それに憧れ頑張っていた。で、その念願の掲載ページ。「来年も載ってやるぞ!」って、来年も居ちゃぁダメなんです。予備校ですから。で、次の年も掲載されましたが。

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美術予備校ではデッサンひとつで人格否定なくらいボロクソに酷評されたりします。その分、褒められた時は本当に嬉しいもので、「これが本番で描ければ東京藝大一番で通る」と手放しで褒められたミロビ(ミロのヴィーナス)は、額に入れて今も部屋に飾ってあります。結局、本番ではそれが描けずに東京藝大への夢は散ったわけですが。

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東京藝大は諦め、2浪を経て愛知県立芸術大学の彫刻専攻に進学。3年間の勉強の末、4年時卒業制作に取り組む若き日の大森青年。顔つきだけはいっちょ前ですね。

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前出、大学時代の凛々しい(?)ポートレートの末に完成した卒業制作。
あらためて見直してみると、その後16年間に制作してきた自身の作品の各要素が全部この卒業制作に詰まっているように思える。この切れ味、いまだなかなか超えられないのは情けないかぎり。

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