2010年の年頭、このコラムで「CREATION IS NOT OVER !」と題して、所信表明のようなスローガンのような、ともかく今の自分に発破をかけるべく言葉を書き綴ってみた。
そもそもは、企業などで“コーポレート スローガン”なるものが社員全員の志気を高め意識の統一を図る役割や効果があるのならば、作家だって“セルフ スローガン”を掲げ、今の自分の思いや考えを自覚し、眼(まなこ)の焦点をキチンと整えてやることがあっても良いのではないかと思ったのだ。なので、書き綴った内容はすべて自身に向けて書いたものであり、けっして誰か他人を叱咤したり、ましてや批判めいたことを言ったものではない。
じゃあ、自身に対しての事ならコラムで公開することなどないじゃないか、という話だけれど、なにぶん自分に甘くだらしない性格ゆえ、後に引けない状態にしてやらないと実行できなくてねぇ……、ご理解のほどを。 実際それからというもの、作品の構想を練るたび創るたび、「おまえ、自分で言ってたくせに」と誰かが頭のなかでささやく。過去の作品を焼き直せば「無難にこなしたな」とつぶやき、安易に販売に媚びた作品を思い浮かべようものなら「まだまだ常識のうち」とせせら笑い、少しはサボってしまおうかと企てれば「平穏がそんなに嬉しいか?」と脅迫する。 おかげで、自分にとってすっかり厄介なものとなり、スローガンはあたかも目に見えぬ看守のように常に自分を監視している。けれど、この看守はそもそも自分自身なのだから、これを自己コントロール、と言うならば、少しは作家として成熟できたのかもしれない。結果“セルフ スローガン”としては見事にその役割を果たしてくれているのだ。
ところがそんな“セルフ スローガン”、この一年の間に思わぬ嬉しい声を多々頂いた。昔からの作家友達の個展に行くと「大森のあの文章、ガツンと叱られた気がした」とか(……いやいや、叱ってなんかいないのに)。あるいは、個展に来てくれたお客様の話では、とあるデザイナーの方があの文章をプリントアウトしていつも机の横に貼ってくれている、とか。はたまた、某若手アートディーラーの方はあの文章を読み、そのうえで僕のことについて、とある雑誌に文章を寄せてくれている。その他にもいろいろ。 あぁ、なんて嬉しいんだろう。作品については良いこと厳しいこと、いろいろ言われることは日常茶飯事で、それだって嬉しいしありがたいことだけれども、仕事柄それには正直慣れが出てしまっているのも事実。加えて、作品の場合は創っている最中から「ああ聞かれたらこう答えよう」とか「こんなことを言われたらこう言いかえしてやろう」とか、はたまた褒められれば「そうだろそうだろ」と、常に防御と攻めの準備をしている自分が居る。
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けれど、あの文章の場合ちょっと様子が違った。
なにか突然後ろから仲間に肩をポンと叩かれたときのような、そんな不意を突かれた嬉しさがあった。なにより、「CREATION IS NOT OVER !」のその本意は他人には伝わりにくいものだと思っていたし、そもそも、セルフ スローガンなのだから理解してもらう必要もないと思っていた。
だからその嬉しさはひとしおなのだ。
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一年経った今、嬉しさついでに「CREATION IS NOT OVER !」の種明かしを少々したいと思う。
実はこれを書くにあたり、理想であり憧れの文章があった。1998年、アップル コンピューターの「Think different」キャンペーン、そのコマーシャル コピーがそれだ。その短い言葉の一つひとつは、当時も今も変わらず自分を励まし、勇気づけ、ときに警笛を鳴らしてくれる。前記のデザイナーさん同様、かれこれ十年以上いつも自分の机の横には「Think different」をプリントアウトしたA4用紙が貼ってある。いつかこんな、強く凛々しく、そして勇気と力がフツフツと湧いてくるような文章を自分の言葉で書いてみたいと思っていた。
だから書くにあたって自身にルールを決めた。
一字一句同じ言葉は使わない。決して文章や言葉を真似ることなく、そのうえで、自分を信じ、決してブレないその圧倒的な愚直さだけは「Think different」に負けない文章を書こう、そう心構えをして。
一方で、自身のためのスローガンと言いながら、反面、読み手を選ぶ言葉を書いてやろう、という傲慢さもあった。で、出来上がりはご覧頂いた通り。
さてさて言葉も文章もできたし、次は絵的にどうデザインしようか、ということになる。はいはい、分かっています、「いったい自分のためなのか? 他人に見せたいのか? どっちやねん」でしょ。ほんとここらへんが美術家の下世話なところでね、一種の病気だね。
下敷きにしたのはジョン・レノンとオノ・ヨーコの「War is over」。ジョン・レノンもオノ・ヨーコさんも取り立てて特別な影響を受けているわけでもなんでもなく、単にあの有名なスローガン ボードが画的にかっこ良かっただけ。だからこれは極力雰囲気真似ました。ピンときた人が「クスッ」としてくれればいいかな、と。文章が暑苦しいからね、ビジュアルはなるべく軽薄に。
こうして出来上がったセルフ スローガン、結果として、冒頭で書いたように予想外のところでも可愛がってもらい、少しだけスローガンも成長した気分。
そんな折り、このスローガンをさらに独り立ちさせてくれる企画が昨年末開催された。
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このコラムでも何度かご紹介しているアパレル ブランド RUDE GALLERY。(Vol.2、Vol.6、Vol.25)このブランドが昨年10周年を迎えた。その記念すべき節目に際して、いくつかの企画を共にした。
RUDE GALLERY は昨年一年間を通して、「BIG10」と題し今日までに繋がりの深い十組のアーティスト(デザイナー、ミュージシャン、写真家、カスタムバイクショップ等々)とのコラボレーションを、ほぼ月替わりで展開してきた。そこで大森暁生とのコラボレーション企画一つ目は、毎月店頭で配る「SPECIAL COLLABORATION POSTCARD」用の原画制作。これは一昨年の年末に制作し、昨年年頭より配布を始めた。
「マリア」というお題をもらっていたので、様々な歴史的な宗教画を下敷きにしたりコラージュしたりしつつ、オリジナルのマリアを描いた。さも何百年も前からこのブランドが存在していたかのようなエイジングをほどこして。
そしてこの原画を12分割し、各月集めていくと12月に大きな一枚のマリアが完成するという仕掛け。
二つ目の企画は、BIG10企画最後の12月に「AKIO OHMORI × RUDE GALLERY」のコラボレーションを展開。そのテーマおよびタイトルに「CREATION IS NOT OVER !」を起用した。翌月(2011年)からは11周年目を迎える RUDE GALLERY にとってみても、このスローガンは互いに共感できるものだった。
コラボレーション展示の期間は12月10日〜26日までの約二週間。自身の代表作である鏡を使った作品を中心として、かつて雑誌『EYESCREAM』誌面での RUDE GALLERY、および The Birthday とのフォトセッション(Vol.2)に使用した「ぬけない棘の狼」も急遽加えることに。
また、アパレル店舗での展示ということで普段とは少しお客様が違うことも考慮し、彫刻家という馴染みのない職業の一端でも知って頂くために、普段使っている道具や木材、使い慣れた鉛筆や、それで描いたドローイングなどなど、アトリエの一部を再現するような展示も試みた。
また、大森暁生とのコラボレーションに合わせ、オリジナルのエプロンバック、ペンケース、ストール、Tシャツを企画製作した。これらは RUDE GALLERY の社長、デザイナー、スタッフ皆と意見を交わし、一つひとつイメージを固めていく作業だった。当日の展示の様子との相性、そして大森作品からお客様が想像するであろう制作中の作家の姿や格好、そんなイメージのアイテムを心掛けた。これはアトリエでの実際の大森暁生というよりも、あくまでイメージを優先しての作業であり、こういう感覚が実にアパレルならではの見せ方の妙を感じ、大いに刺激を受ける部分だ。
普段、ものづくりを生業としているにもかかわらず、こういったアイテムが一つひとつ出来上がってくると、そのたびに本当にシンプルに感動する。昨日まで無かったものが出現するという感動、忘れてはいけない。
会期初日には華やかなオープニングパーティー。RUDE GALLERY スタッフは皆ジャケットとパンツでドレスアップし、ジャケットの下には「CREATION IS NOT OVER !」とプリントされたTシャツを着てお客様をお出迎え。自分も革ジャンの下にはこのTシャツを着てご接客。嬉しいけれどなんだかくすぐったい気分。
20:00からスタートしたパーティーには、遅い時間にもかかわらずたくさんのゲストが遊びに来てくれた。美術畑の友人知人はもとより、アパレル、ミュージシャン、写真家、デザイナー、マスコミ、美容師さん、女優さん、モデルさん、その他たくさんたくさん。皆、飲み物を片手に近況を報告しあったり、写真を撮ったり、楽しい時間が更けてゆく。
そんな場と時間を作れたこと自体が嬉しい。
約八年前、アパレル業界から初めて仕事を託されたとき(Vol.6)、まったくの門外漢であった自分は恐る恐る、本当に右も左もわからぬまま、けれど思い切ってその世界に飛び込んで行った。今思えば、とにかくなりふり構わず無我夢中だった。会う人会う人が皆カッコ良く華やかに見えて、はやくその中で胸を張れる自分になりたいと思っていた。
だからこそこのパーティーの数時間は本当に至福の時だった。こんな毛色の違う者をよく皆が受け入れてくれたと思う。違う業種の者にもかかわらず快く招き入れてくれた先輩達、共に刺激しあえる同世代の仲間、そして慕ってくれる後輩達。皆に心から感謝している。
そう、「CREATION IS NOT OVER !」その気持ちさえ忘れなければ、異業種だろうと関係ない。同じ心意気を持った者同士、この先もきっと刺激しあってゆけるに違いない。
「CREATION IS NOT OVER !」は、弱音を吐こうとする自分自身の尻を叩くだけに留まらず、いつの間にかそれは“セルフ”ではなく、共に高い志を持つ仲間や理解者をも引き寄せてくれた。同志や味方が居るということは何よりの勇気となり、この先また新たな“創造”を生み出す力となる。
厳しい“看守”は、本当は案外優しい奴なのかもしれない。
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